大分合同新聞はなぜれいわ新選組・山本太郎代表の時速149キロスピード違反を沈黙し続けたのか? 危険運転厳罰化の旗振り役から感じる闇

2026年7月9日大分合同新聞東西南北コラムニスト康氏から

大分合同新聞東西南北(2026年7月9日付)を読み、「よく書いた!」と感じた読者も多かったのではないだろうか?

れいわ新選組の山本太郎前代表(9日辞任と政界引退)が起こした、指定速度を69キロも超過する時速149キロでの猛烈なスピード違反である。

コラムニスト康氏による筆致は実に鮮やかだ。

「よく往来する県民ならば『ああ、あそこネ』と場所はお分かりだろう」と、全国区の政治家の不祥事を一瞬にして地元民の生活圏の地続きへと引き寄せる。

そして極めつけは杵築市大田の名物交通安全看板に書かれた大分弁の引用だ。

そげえ早う行かんでんがいいんじゃねえかえ。

中央の権力者による無軌道な暴走を、地元の素朴な常識で一喝するオチは見事だ。日頃、野党に対して甘いとされる同紙が、身内とも言える勢力の党首に対してこれほど厳しい姿勢を示したことは、純粋にジャーナリズムとして評価に値するコラムだ。

しかしこの記事が掲載された「裏側の文脈」を知る地元県民として、どうしても拭いきれない強烈な違和感を覚える。

このコラムが理路整然と「正論」を語れば語るほど、同紙がこれまで取ってきた報道姿勢との矛盾が露呈するからである。

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大分合同新聞と「危険運転を許さない精神」の間にある不自然な沈黙

広島と長崎が核兵器を許さないように、高速度の危険運転を絶対に許さない。

それこそが、時速194キロ死亡事故というあまりにも理不尽な悲劇を経験し、厳罰化の法改正の旗振り役となった「大分の社会的誓い」であり、精神であったはずだ。

大分マスメディアのなかでも特に大分合同新聞は、この危険運転致死傷罪の適用や法改正に向けて、誰よりも声高に世論を牽引してきたメディアだ。

それほどまでに速度違反に厳しいはずのメディアが、なぜ昨年10月に地元・大分の東九州自動車道で起きた「れいわ新選組山本太郎前代表の時速149キロ重大違反」を独自にスクープできなかったのだろうか?

事実、デイリー新潮は2026年3月の時点でこの問題を報じていた。

オービスが光り刑事行政処分へと至る一連のプロセスを、そして「参院議員を辞職した翌日に大分県警に出頭する」という極めてセンセーショナルな一大事を、地元最大手メディアが「知らなかった」とは考えにくい。

少なくとも、知ることができた立場にあったはずだ。

大分合同新聞は、自社のスクープを【独自】と銘打ち嬉々として大々的に報じる新聞社である。

高速度事故の厳罰化を叫ぶお膝元で起きた重大な違反に対し、なぜ同紙はれいわ新選組が公式に発表する7月まで沈黙を貫いたのか?

その理由を、同紙のこれまでの報道姿勢から推察してみよう。

別の高速度死亡事故をめぐる被告人擁護と遺族の言葉への沈黙

同紙の報道姿勢を象徴する過去がある。

194キロ死亡事故の約1ヶ月前、一般道で時速100キロを超える死亡事故を起こし、育児を理由に裁判への出廷を拒否した被告人がいた。

その際、裁判官が「身柄の拘束もある」と警告したことに対し、大分合同新聞はなぜか被告人を擁護し、裁判所を批判する論調を東西南北で展開したことがある。

この「出廷拒否を容認するかのような空気」を作り出した同紙の姿勢は、巡り巡って194キロ事故被害者遺族の心を深く抉ることになる。

控訴審において、法廷に姿を現さなかった被告人に対し、遺族が放った「なぜ出廷しないのか?理由を聞きたい」という悲痛な叫びに、大分合同新聞と新聞労連から表彰された羽山草平記者は沈黙を貫いている。

厳罰化を求めるポーズを取る一方で、別の高速度死亡事故を起した被告人の不誠実な態度には都合よく裁判所を批判する。

相手によってここまで変わるのが、大分合同新聞のジャーナリズムである。

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自民党に利する事実は報じないという選択的報道

なぜ彼らは沈黙したのか?

その背景には、「自民党に利する動きは、たとえ県民に伝えるべき重大な事実であっても報じない」という、大分合同新聞の選択的な報道姿勢が透けて見える。

過去を振り返れば、この傾向は枚挙にいとまがない。

例えば、吉良元衆院議員(中道改革寄りの無所属)による「私に反対なら銃を持って戦争に行ってください」という看過できない暴言や、「風俗嬢から強姦売春と叫ばれた」性的スキャンダル

あるいは足立大分市長が参院議員時代に「核実験反対決議」を棄権したという事実。さらに憲法9条改正反対を掲げながら吉良氏と選挙を共にした立憲民主党・吉田忠智議員と、大分市官製談合事件で反社認定された同和関係者とのツーショット写真の存在

これらはすべて、有権者たる大分県民に共有されるべき事実である。

しかし地元マスメディアは、「これらを報じれば自民党を利することになる」というただ一点の理由で、自らの政治的立場を優先し、これらの事実に向き合ってこなかった。

「高市は扱い山本は扱わない」週刊誌報道というダブルスタンダード

「週刊誌レベルの報道は扱わない」という矜持が同紙にあるなら、まだ理解の余地はあった。しかし実態は、報じる相手によって基準が変わる。

高市首相陣営を巡る誹謗中傷疑惑の際には、時系列に重大な瑕疵が指摘された週刊誌報道に飛びつき、大々的な批判を東西南北で展開した。

高市陣営誹謗中傷疑惑にすがる大分合同新聞東西南北 県内で都合よく面識を使い分けてきた二重基準
高市陣営誹謗中傷疑惑で高市氏を叩く大分合同新聞東西南北。地元政治家の不祥事は徹底無視し、不確かな憶測には全乗りする地方紙の醜悪な二重基準。

後に報じた媒体側が一部を削除・訂正し、共同通信や各野党がこの疑惑から事実上撤退しつつある現在、あの批判に大分合同新聞側にも説明責任が生じるだろう。

叩く相手が保守系や政権側の政治家であれば、瑕疵のある週刊誌報道であっても政権批判に利用し、叩く相手が反自民の野党党首であれば、地元で起きた重大な交通犯罪であっても公式発表まで動かない。

ここにジャーナリズムの一貫した基準は、見当たらない。

何度も書くが、「報道しない不自然さ」が大分合同新聞だけではなく、大分マスメディア全体に起きていたのだ。

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東西南北の言葉が大分合同新聞に突き刺さるブーメラン

今回の東西南北は確かに秀逸なコラムだった。しかしコラムニスト康氏と大分合同新聞へ、彼らの言葉をそのまま返したい。

交通安全看板の言葉、「そげえ早う行かんでんがいいんじゃねえかえ」。

この素朴なたしなめは、山本太郎氏だけに向けられたものではない。

地元が守るべき規範を、しかも国政政党の代表が犯した事件を他社にスクープとして抜かれ、何ヶ月も沈黙を守った挙げ句、党の公式発表の後に慌てて「正義の味方」を気取ったコラムを書いている。

この看板の言葉は、大分合同新聞の記者やコラムニスト康氏自身に向けられた皮肉ではないのか?

選択的な沈黙、過去の被告人擁護、相手を選ぶ基準の揺れ。

それらの不誠実さを覆い隠すかのように書かれたこのコラムを目にしたとき、マスメディアが他者に突きつけ続けたあのフレーズが、特大のブーメランとなって自らに突き刺さる。

「大分合同新聞の報道姿勢に対する疑惑は、さらに深まった」

大分合同新聞東西南北コラムニスト康氏と言論の自由を堪能したい

本稿は大分合同新聞、およびコラムニスト康氏からの反論・見解を歓迎する。地元最大手メディアとして、なぜこの問題を独自に報じなかったのか

その理由を県民に向けて説明する機会は今もここにあり、それに対する反論もこちらは用意している。

さぁ僕たちが大好きな言論の自由を堪能しよう。