企業の社名変更に噛みつく大分合同新聞東西南北 透けて見える私怨と劣化

2026年6月7日大分合同新聞東西南北コラムニスト岩から

大分合同新聞東西南北に厳しい批評するとGoogleポリシー違反。主張する表現・思想・言論の自由を、マスメディアがこんなかたちで読者の声を萎縮させる一例。

大分合同新聞東西南北2026年6月7日付は、昨今の企業の社名変更を取り上げ、「不祥事からのイメージダウンを払拭する狙いが透ける社名には鼻白む」「看板をかけ替えただけでは魂は宿らない」と冷笑的に結んでいる。

しかしこれはあまりにも事実誤認が甚だしく、筆者の偏見と悪意に満ちている。そもそも、このコラムはいったい何のために書かれたのだろうか?

社会の公器と自称する新聞社のコラムとして、非常に困惑する内容だ。

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社名変更に対する大分合同新聞の事実誤認と十把一絡げの暴挙 ぺんてるに直近の不祥事はない

コラムは社名変更した企業を並べ立て、それらを一律に不祥事隠しと印象付けようとしている。確かに、名指しされた一部の企業には過去に負の歴史がある。

  • マルハニチロ(現・ウミオス) 2013年に子会社で農薬混入事件が発生
  • 九電工(現・クラフティア) 2019年に入札妨害の疑いで営業所長が逮捕
  • レゾナック(ドーム名がクラサスへ) 旧・昭和電工時代に遡れば大規模な贈収賄事件(昭電疑獄)

これらの過去があるにせよ、現在の社名変更はグローバル化や事業再編といった前向きな経営戦略に基づくものだ。

それを「不祥事の払拭」と矮小化するだけでも論評として浅はかだが、最も悪質なのは「ぺんてる(現・アストラム)」を同列に並べている点である。

ぺんてるには、品質偽装や法令違反といったイメージダウンを払拭しなければならない不祥事は、直近に存在しない。

過去にあったのは、他社との間で起きた経営権を巡る争奪戦、企業間の真っ当な経済活動の摩擦だ。

それにもかかわらず、他の企業の過去の事件と十把一絡げにし、「不祥事からのイメージダウン払拭」という文脈で語るのは、明確な事実の歪曲であり、企業に対する名誉毀損に近い暴挙である。

あなたたちの言葉を借りれば、「高市首相陣営の誹謗中傷」と同じだ。

なぜ大分合同新聞東西南北はアストラムに対する誹謗中傷のコラムを書いたのか?

なぜ大分合同新聞東西南北コラムニスト岩は、事実を歪め、アストラムへ誹謗中傷するこのような的外れな難癖をつけたのか?

そこには、新聞のコラムニストが陥りがちな特有の病理が透けて見える。

世直しのご意見番という浅薄な自己陶酔

企業が未来に向けたビジョンを掲げて社名を変えることに対し、「裏にはどうせ不祥事隠しというドロドロした思惑があるのだろう」と邪推することで、いかにも物事の本質を見抜いている知識人を気取りたい自己満足である。

「大分合同新聞や東西南北」という看板そのものを掛け替えねばならないほど、自らが劣化していることに気付いていないのが痛々しい。

横文字への無条件の嫌悪感

コラムの冒頭で夏目漱石の言葉を引き、千円札の野口英世の話を持ち出していることからも透けて見えている。

伝統的な社名を捨てて「ウミオス」や「アストラム」といった実体の見えないカタカナ名に変わることに対する、古いインテリ層特有の文化的なアレルギーと愚痴を並べているに過ぎない。

企業の理念や、グローバル市場を見据えた戦略をまともに調べる労力も惜しみ、手垢のついた看板のかけ替えという決まり文句で文字数を埋めただけの、極めて怠慢なコラムと感じた。

つまり老害の変わることができない感性である。さすが女子中高校生にスリーサイズを聞いて、MeToo運動に参加した実績ある新聞社だ。

マスメディアとしてありえない姿勢

普段は多様性や時代の変化への適応を声高に説くマスメディアが、いざ企業が未来を見据えて自己変革を図ろうとすると、過去を引き合いに出して冷や水を浴びせる。

この二重基準は、言論機関として到底許されるものではない。

夏目漱石の「負け惜しみが強い、屁理屈をつける」という言葉を枕に振っているが、企業の決断に対して屁理屈をこねて難癖をつけているのは、間違いなく大分合同新聞側である。

大分合同新聞東西南北のコラムニストは、ヤバいのしかいないのだ。

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SNSの掃き溜めと化した大分合同新聞東西南北

最近の大分合同新聞東西南北(厳密にいえばずっと前からだが)は、まるでSNSでよく見かける劣等感の掃き溜めのような状態になっている。

企業の未来に向けた決断を正当に評価できず、的外れな過去の不祥事を持ち出して叩く。斜陽産業たる地方紙・大分合同新聞の、世の中の変化に対する私怨が強すぎて、読んでいてきつい。

こんなコラムが学校で教材として使われている大分県が信じられない。

社会の公器であるべき新聞の看板コラムが、単なる年寄りの冷や水と私怨の捌け口に成り下がっている現状こそ、最も鼻白む事態である。

この新聞社は、変わる必要がないからこそマスメディア劣化版として「大分合同新聞」であり続けるのだろうか?いや、社会の公器として劣化した人間が集まるからこそ、「大分合同新聞」なのか?

社会の公器として鋭利な感性で唸らせてくれる若手は、今の大分合同新聞で息をしていますか?

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