
2026年9月11日の大分合同新聞東西南北コラムニスト康氏は、わずか8カ月で瓦解した中道改革連合の解体劇を嘆いた。
しかし、沢田研二さんの「勝手にしやがれ」で幕を開け泉谷しげるさんの「春夏秋冬」で締めるこのコラムは、昭和歌謡の情緒に逃げ込み、政治の現実から読者の目を逸らす極めて不誠実なコラムである。
2026年9月11日大分合同新聞東西南北コラムニスト康氏から
大分合同新聞東西南北に厳しい批評するとGoogleポリシー違反。主張する表現・思想・言論の自由を、マスメディアがこんなかたちで読者の声を萎縮させる一例。
冒頭から「代表のオガワさんは背中で聞いていただろうか」と、康氏お得意のイタコ芸が炸裂する。他人の内面に勝手に踏み込み、悲劇の主人公に仕立て上げるポエム手法は相変わらずフィクション作家らしい。
政治コラムで、なぜ康氏がこんな構成にしたのか?それは康氏が政治や社会コラムニストとして鋭利な感性を持ち合わせていないイタコ職人だからだ。
中道改革連合は解党せず、たった1人の議員を党に残すという奇策に出た。その目的はただ一つ、政党交付金の約12億円の政党交付金を受け取るためだ。
自民党の「政治とカネ」にはあれほどヒステリックにペンを振るう大分合同新聞東西南北が、野党が法制度の抜け穴を利用して血税をかすめ取る行為には完全に沈黙する。
自民党議員を「裏金」スタンプをつけて選挙特番を組んだ日本マスメディアの姿勢が懐かしい。その熱量を感じられない大分合同新聞東西南北である。
ここで昭和歌謡に逃げたこと自体が、コラムニスト康氏が大分の政治論評にふさわしくない存在であることを証明してしまった。
さらに悪質なのは、康氏の批判の矛先が「共産党の有無」で露骨に変わる点だ。
過去、共産党を含んだ共闘という名の「野合」が行われた際、大分合同新聞はここまで厳しい批判を展開していない。その結果、西日本唯一「理念なき野合」の1人区で当選をした大分県(足立信也現大分市長)が誕生した。
そしてその野合も瓦解した。
共産党が絡まない今回の中道改革連合に対しては「選挙互助会」と容赦なく切り捨てる。自らのイデオロギーに合致するか否かで批判のトーンを変える。このような客観性を欠いた低レベルな政治評論こそが、日本政治の低迷を招いている根本的な問題である。
コラムの終盤、康氏は野党の自滅を「対抗軸の霧散は民主主義の根幹を揺るがす」と、高市政権への批判に転嫁した。
「禍福を被るのは国民だ」と嘆いてみせるが、血税の行方を追及せず、イデオロギーで野党を選り好みする書き手が、どの口で国民の禍福を語るのか?
都合が悪い事実から目を背けた姿勢そのものが、与党と渡り合う野党を作れない日本の構造的な問題を提示している。
「与党はパチパチと乾いた拍手を送るだろう」とシニカルな傍観者を気取って結ばれたこのコラム。しかしいま中道改革連合解体で大問題になっている政党交付金問題を意図的に報じず、昭和歌謡で読者を欺く大分合同新聞東西南北康氏にこそ、こちらから冷たく乾いた拍手を送りたい。
フィクションで圧倒的高市憎悪を書いた康氏が大分合同新聞東西南北から退場することが、「禍を転じて福と為す大分県民」と感じるコラムだった。


