
29日の大分合同新聞東西南北で、コラムニスト岩氏はAIを「剪定ばさみの届かぬ高さで実をつける怪物」と恐れた。そうであれば大分合同新聞東西南北に問いたい。
あなたたちの「人間の目」によるチェック機能は、果たして正常に機能しているのだろうか?
2026年8月29日大分合同新聞東西南北コラムニスト岩氏から
大分合同新聞東西南北に厳しい批評するとGoogleポリシー違反。主張する表現・思想・言論の自由を、マスメディアがこんなかたちで読者の声を萎縮させる一例。
つい先日、同僚である康氏が、熊本地震の被災地をコントの小道具にし、高市首相を妄想で叩き、最後に「フィクションである」という言葉で責任から逃亡する前代未聞のコラムを一面に掲載した。

本来であれば、周囲の記者やデスクが「報道機関として一線を越えている」と止めるべきだが、岩氏を含め誰一人としてその暴走を剪定せずに、未だに康氏は東西南北にコラムを書き続けている。
岩氏はコラムの中で「怪物の行方は誰も知らない」と書いたが、大分合同新聞の報道機関の皮を被った怪物は東西南北コラムニスト岩氏の隣に存在している。
人間の目が機能不全に陥りAIが倫理を語る
この康氏の異様なフィクションコラムについて、複数の主要な生成AIに客観的な分析を依頼した。結果はどうだったか。
すべてのAIが、「たとえ『表現・思想・言論の自由』を盾にしたとしても、事実を元に議論を展開するジャーナリズムの原則に完全に反しており、災害を自身の政治思想のためにフィクションとして利用したことはコラムニストとして重大な倫理的逸脱」と、極めて冷静かつ論理的に判断を下した。
岩氏が「毒リンゴ」と呼んで漠然と恐れる最新テクノロジーの方が、人間の編集者たちよりも何倍も正確に「ジャーナリズムの倫理と客観性」を理解しているという、笑えないブラックジョークが大分合同新聞東西南北で成立したのだ。
白紙の謝罪と妄想のイタコ芸 九州発の新しい戦前
岩氏は「フランケンシュタイン」は英語で「自らまいた災いの種」という慣用句でもあると紹介した。しかし大分県においてこの慣用句として最もふさわしい言葉は、フランケンシュタインではなく「大分合同新聞」であろう。
かつて日本のマスメディアが大衆の不安や熱狂を煽り、自ら進んで戦争へと加担していった過去がある。
終戦翌日の昭和20年8月16日、九州をカバーする毎日新聞西部本社は、裏一面を真っ白な「白紙」の状態で発行した。「戦争を煽った新聞の責任として解散・廃刊し、紙面で謝罪すべきだ」という当時の編集局長の、身を挺した抗議と贖罪の表明だった。
同じ九州のジャーナリストでありながら、大分合同新聞のこの報道姿勢の落差はどうだろうか?
まさに今年の終戦の日に、問題のコラムニスト康氏は自らの報道のあり方を省みるどころか、相変わらず自分の都合がいい声だけを聞き、「われわれにも聞こえる」と主語をデカくして妄想のイタコ芸に走っていた。

身内の暴走は黙認し、人間の目による自浄作用を失い、政治家を真っ当な政治論争で批判することからも逃げ、特定のイデオロギーと憎悪だけで高市首相を攻撃し続ける現在の大分合同新聞の姿。
これを見ていると、「新しい戦前」が、確かにこの大分県から始まっていると感じる。
おじい。

