ルックバック主題歌Light songのコーラスにカテリーナの森の聖歌隊から見る表現の大分

2024年7月22日大分合同新聞東西南北から

大分合同新聞の記事を引用し批判するとGoogleからポリシー違反
大分合同新聞の記事を引用し批判するとGoogleからポリシー違反
大分合同新聞東西南北の誤字、反論のためにコラムをスクショで掲載すると、Googleからポリシー違反。フェイクニュースっておまえらが言うから、改ざんしていないコラムが必要じゃん。護憲派が税金で言論封殺するこの県の言論空間の異常性。

福島処理水問題で、自身は食べるとは言わずに「官僚に食べてほしい」と推奨し、福島住民の声は尊重するけれどイスラム土葬墓地建設予定地の地元住民の懸念の声は蔑ろにしてイスラムのテロは容認している理解に苦しむ大分合同新聞東西南北とそのコラムニストIさんにありがとう。

ルックバックの主題歌Light songのコーラスに杵築で活動しているカテリーナの森の聖歌隊が参加していることを、大分合同新聞東西南北で初めて知りました。

妻と映画に行ったらエンドロールが終わって彼女が立つまで僕は動かないのですが、その時間がルックバックではとても長かった。

館内もそのような方々がちらほらといて、こんなことは映画鑑賞人生で初めての経験でした。

作品はもちろん、主題歌がそうさせたように感じます。

僕が完全に居場所を失っていたウマ娘でも泣くほどの感受性を持つ妻は立ち上がるときに「続けたいね」と震える声で伝えてきます。すると後ろにいたひとりの大学生風の女の子が「はい」と震える声で共鳴し、ふたりで泣いていました。

ここでも居場所を失った僕ですが、こんな経験は初めてでした。

ルックバックとカテリーナの森の聖歌隊にありがとう。

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コラムニストIさんも、強すぎる刺激だったけれど「書くことを続ける」と宣言しています。普段は相容れない大分合同新聞東西南北とルックバックで想いを共感できました。

だからこそコラムニストIさんと大分合同新聞に、僕は書き続けたい。

6月5日は世界的なピアニストアルゲリッチの日になりましたが、9年前教育者を名乗る人物が大分大学のIP偽装をし匿名性を高めて公金で表現・思想・言論の自由を侵害した日でもあります。

大分県教委汚職事件の議論で逃亡してしまう護憲派特定野党支持の教育者が表現・思想・言論の自由を税金で侵害しない大分を
大分県教委汚職事件の議論で逃亡してしまう護憲派特定野党支持の教育者が表現・思想・言論の自由を税金で侵害しない大分を
大分大学のIPを偽装し憲法が認めたあらゆる自由を税金で侵害した護憲派日教組教育者ハンドルネーム豊川さん。大分県教委汚職事件で逃げました。特定することを希望します。大分の社会通念上、最重要参考人です。

そのきっかけは、大分合同新聞が女子中高校生を含む県民女性にスリーサイズを聞いたことから始まりました。この新聞社は、セクハラ事案を反省もせずに数年後MeToo運動にも参加しています。

カテリーナの森の聖歌隊が参加したので、きっと子どもたちのコーラスも多かったのでしょう。

だから今までのように強い批判を込めて書きませんが、児童ポルノの定義に当てはまる生徒を対象にしたセクハラ事案があった事実に大分合同新聞は真摯に向き合ってほしいです。

素晴らしいルックバックに携わった大分の表現者。他にも評価されているクリエイターは大分にたくさん存在しています。受賞したことで話題になった絵本作家のザ・キャビンカンパニーの作品は、姪が大切に抱えるお気に入りです。

大分には素晴らしい表現者たちがいます。表現の自由でもがいてあがいて苦しみ世に作品を出しているのですが、その苦悩の前に公金で表現の自由が侵害される理不尽な大分県が待っています。

いつクリエイターがその対象になるのか、わからない大分県です。

ちょっとした政治発言や公共性あるセクハラの指摘だけで、この攻撃が公金でクリエイターに向かう可能性がある大分県です。

だからこそ僕は、政治思想の違いや地元の強力なマスメディアのセクハラを指摘しただけで、芸術文化の素晴らしさを侮辱する表現の自由を公金で侵害された6月5日にこだわり続けたい。

子どもたちの性で6月5日の公金を使った人権侵害のきっかけを作った大分合同新聞の姿勢を問い続けたい。

7月は京アニ月間として、いろんな作品を見るようにしています(妻から見せられているという方が正しいのですが)。

新作の響けユーフォニアムは原作とは違う改変があったようで妻はむすっとしていましたが、それでもやはり京アニは素晴らしいことを再確認しました。

京アニ事件をモチーフにした描写があるのもルックバックです。

コラムニストIさんがいう強い刺激とはおそらくここを指していると思われます。その解釈はそれぞれあって良いのですが、ひとつ共有できる点で確かなことは「表現の自由を守り続ける」ことでしょう。

ものづくりに携わる人間だからこそ、大分はルックバックしないといけないことがあると感じるのです。その当事者である大分合同新聞東西南北コラムニストIさんの振り返る勇気を僕は信じたい。

子どもたちが誇れ子どもが信頼できる大分を作るという点であれば、大分県民すべてがものづくりに携わることになります。

6月5日アルゲリッチの日に政治思想の差異だけで理不尽な人権侵害が公金で起きたこと。そのきっかけがルックバックを称賛する大分合同新聞の子どもたちも対象にしたセクハラだったという絶対に逃げることができない紛れもない覆すこともできない恥ずべき事実。

まぁ。

そういうことでさ。

大分をルックバックする物語を作らないかい?至らない部分を補って、大分を続けて繋いでいける。

僕らだから作れる。