2026年10月29日大分合同新聞東西南北コラムニスト康氏から。
大分合同新聞東西南北に厳しい批評するとGoogleポリシー違反。主張する表現・思想・言論の自由を、マスメディアがこんなかたちで読者の声を萎縮させる一例。
2026年10月29日付の大分合同新聞東西南北は、大分市内の中学教諭の盗撮逮捕と、大分大学医学部名誉教授の背任容疑逮捕という教育機関の不祥事を並べ、それぞれの対応を比較して「組織の体質」「ガバナンス」を説く内容だ。
市教委の会見を「のれんに腕押しだが、重大性の認識はうかがえた」と評し、大分大学を「学長の談話をHPに載せただけでダンマリを決め込んでいる」と非難する。「社会への説明責任の必要を上役に進言できない組織ならばガバナンスを欠く」「ふさごうとしている傷口の奥に『保身』があるのなら、お得意の根治手術が必要である」
ずいぶんと立派な御託だが、この言葉、一字一句そのまま大分合同新聞と筆者の康氏に突き返してやろう。
「組織の体質がどろりと染み出た」とはよく言ったものだ。性犯罪に対する組織の体質と言えば、大分社会問題に関心が高い大分県民の記憶に最も新しく刻まれているのは、他ならぬ大分合同新聞である。
自社の記者が性犯罪で逮捕された際、他者の不祥事には声高に一面を割くくせに、身内の犯罪はインデックスから隠して社会面に矮小化し、その後ダンマリを決め込んだ。
さらに言えば、過去に女子中高生を含む県民女性にスリーサイズを聞いて回ったセクハラ企画「Kawainfo」からMeToo運動への総括も逃げたままだ。

自分たちの性的なモラルハザードには、ふさごうとしている傷口の奥に保身を働かせて隠蔽しておきながら、他組織の不祥事には安全圏から、お得意の根治手術が必要と説教を垂れる。
この厚顔無恥な二重基準こそが、メディアとして完全に「アウト」である。
さらに康氏は、大分大学が「HPに載せただけでダンマリ」だと糾弾しているが、康氏自身が8月に熊本地震の被災地を「高市憎悪のフィクション」の舞台にして大炎上した際、大分合同新聞はどう対応したか。
会見はおろか一片の謝罪もなく、Webサイトから「自社の顔」という誇り高き文言をこっそり削り取ってダンマリを決め込んだ。

捏造が指摘された週刊誌報道に乗っかって高市陣営を叩いた件も同じだ。
「上役に進言できない組織ならばガバナンスを欠く」と書いているが、看板コラムニストの度重なる倫理的暴走や事実誤認に対し、社内の誰も上役に進言できず、康氏にコラムを書き続けさせている大分合同新聞こそ、ガバナンスが完全に崩壊している。
「だから左翼とリベラルは嫌われるんだ」という典型的な構成だ。記者という肩書はやめて、「運動家」や「活動家」に切り替えて、被害者や遺族を搾取し一人勝ちを目指してほしい。

康氏はこのコラムで、「真実が靴を履いている間に、嘘は世界を半周する」という米作家の金言を引用している。
本来はデマの拡散スピードを戒める言葉であり単なる「ダンマリ」への批判に使うには論理が破綻しているが、一面で悪質な「フィクション(嘘)」を撒き散らし、不都合な真実には「紙幅が足りない」と蓋をしてきた康氏自身がこれを口にするのは、もはや特大の自爆行為だ。
何度自爆しても、飽きることなくまた蘇る言論ゾンビが大分合同新聞である。
大分県における特権階級のような顔をして、自分たちの不祥事には甘く、県民には説教を垂れる。この新聞社が自らのどろりと染み出た組織の体質に向き合い、社会の公器としての根治手術を受けるその日はいつだろうか?
無限ループブーメランの達人が大分合同新聞であり、コラムニストの康氏だ。いつまでこんなわかる人にはわかる、騙せる人は騙せる言論を続けられる大分であり続けるのだろうか。
大分県の知性が本当に心配である。


