夏休みに入った大分の子どもたちは、大分合同新聞・東西南北の書き写しに励んでいると思われますが、「この新聞社こそおかしい」という観点を忘れないでほしいです。
その感情を爆発させることができるコラムを書いた今回の大分合同新聞。小山田圭吾さん辞任について糾弾していますが、ダブルスタンダードです。
「渋谷系」音楽ならぬ「大分系」コラム・大分合同新聞東西南北の病について。
小山田圭吾さんで当てはめていくことでわかる大分合同新聞の病
反論を恐れたり都合が悪くなったりすると、著作権を持ち出す大分合同新聞・親衛隊。
そんな界隈から言論の自由なんて出てくることに幼稚園からやり直してほしい気持ちで溢れますが、税金であらゆる自由を侵害できるのもこの新聞社の愛読層ですので、もうやり直せない人間性でしょう。
だから時事ネタすべてがダブルスタンダードで恥知らずなコラムを書ける新聞社になり、それに何も感じない大分県になっています。
規範意識の変化と今回の小山田圭吾さん批判を分析していますが、その変化を敏感に感じ取ることができない人間が書くコラムに、どのような価値があるのか?
教えていただきたい。
驚くほどのダブルスタンダード批判になっています。
県民女性に向けたセクハラを反省していない
過去に小山田圭吾さんは釈明と反省する機会がありましたが、無視し続け今に至り辞任へと追い込まれることになりました。
大分合同新聞もその機会があったことを忘れないでいただきたい。その機会を無視し続け、MeToo・女性蔑視運動に参加した恥知らずな新聞社であることを猛省していただきたい。
女子中高校生を含む県民女性にスリーサイズを聞いていた大分合同新聞ですが、「NIE教育に新聞を」推しの差別主義・護憲派教育者が当ブログでひと悶着を起こした後、不自然にその項目が消えました。
釈明も謝罪もなく、ただただ「スリーサイズと彼氏の有無と性癖SかMの項目だけ」が消えたKawainfoコーナー。
そういう新聞社が小山田圭吾さんと大会組織委員会を批判できるのですから、コラムニストの人間性を疑います。
反省しない新聞社がJ1・大分トリニータのスポンサー
人選をした大会組織委員会を批判している大分合同新聞は、税金で立て直した大分トリニータのスポンサーです。
過去に「クラブにふさわしくない猥褻選手と行政処分スポンサー」と断罪していたにもかかわらず、自社イベント宣伝のために女子中高校生を含む県民女性を利用したセクハラコーナーを設けた新聞社がスポンサーになっている大分トリニータ。
大分合同新聞の大会組織委員会への批判展開は、ブーメランになっています。そちらの論理展開であれば、スポンサーの過去を見抜けなかった大分トリニータですので批判は免れません。
勘違いしないでください。
あなた方が主張していることを、大分合同新聞に当てはめていけばそうなるだけです。
絶対にホームに踏み入れてはいけない企業こそ大分合同新聞になり、大分トリニータの選手は気の毒となります。
小山田事案の毛色が帯びるスキャンダルでも、動じないのが大分県。それを支えているのが、多様性や人権を主張している大分合同新聞を代表する大分県民です。
「夢ばかり見ていた。そして僕は喋りすぎた」な自分たちが起こした社会通念上の不祥事に絶対に振り返らない声だけはでかい人たちが理不尽な世の中を変える歯車になろうと奮闘しているのですから、よくできた鰯の頭です。
日本がよくなるはずもありません。
マスメディアだからこそ問題にならない大分の病
どんな理念で世の中をよくしていこうと考えているのか?
まったく見えてこないのが大分合同新聞とそのコラム東西南北です。
釈明と謝罪の機会があった小山田圭吾さんのように、大分合同新聞にも6年間その機会がありました。しかしマスメディア特有の自身に徹底して甘い性格からその機会を完全無視し続けています。
どんなにSNSが発達し今回の件のように震源地になったとしても、最終的に国民に幅広く喧伝し、問題の可視化システムの構築に貢献するのはマスメディアです。
そんなマスメディアが自身への不祥事を取り上げなければ、当然社会問題化になることはありません。
今回の小山田圭吾さん問題で指摘されていたその時代の風潮。その時代と2021年のネット社会である大分が酷似していることが大問題です。
大分県民がこのような人間性を疑うコラムを書く新聞社に「おかしい」といった感情を持つまで、あとどのくらいの年数が必要でしょうか?どのくらい年数を重ねれば、この新聞社の「おかしさ」に気づけるでしょうか?
小山田圭吾さん事案で発狂している日本をみて、大分の病を憂います。
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