提案は批判を抑制する?大分合同新聞の論説は民進党の建設的になろうとする姿勢をけん制するな

29日の大分合同新聞か共同通信社どちらが書いたのかわからない論説を見てびっくりしてしまった。民進党新代表となった蓮舫議員の「批判より提案」の姿勢が気に入らないようだ。大分合同新聞によると「批判と提案は相矛盾するものではない」と断ったうえで、野党の提案が盛り込まれないことを理由に、提案をすることによって野党の根本的な役割である政権のチェック機能という批判がおろそかになってしまうようだ。

野党が提案である法案を提出することができ、それがニュースで流れ、良いものであれば民進党にとってみてもマイナスにはならない。これが積み重なっていき、与党打倒へと繋がる。旧民主党が政権を取ったときは、あくまでも自民党が不甲斐ないだけであり、政権運営をする器量もない政党が奪取したことによって混迷の時代を経験することになった。また同じことを大分合同新聞がさせようとするのであれば、断固として反対しなければならない。

民進党自身も今のままではダメだという表れが「批判よりも提案」であり、なぜその姿勢をマスメディアが気に入らないのかがわからない。批判だけしていれば良い政党は、社民党や共産党と山本の仲間たちが担えば良いだけであり、第一野党である民進党は現実路線の提案で攻めることを望む国民も多い。野党の役割はそれぞれが担えば良いだけである。ただ第一野党が批判だけでは困るのだ。

そもそも批判は、万全な政権のチェック体制が整っているからこそでき、他に代替案があるからこそできるものである。しかしそれができないのが民進党であり、建設的な批判さえできていない。大分の主権者教育を担う大分合同新聞社からこのような論説が出てくること自体が、残念な大分なのだ。つまり盛り上がりに欠ける大分の政治談議のレベルの低さを、主権者教育をする先生である大分合同新聞が支えている。

しまいには批判を受けることになる安倍首相が述べた「批判に明け暮れるのではなく、建設的な議論」が気に入らないようで、「厳しい批判をする野党をけん制した」などと、ジャーナリズムとして建設的な批判ができない感性を持っている。自分たちは批判しかせずに済むジャーナリズム界隈は、野党の的を射ていない批判がなければ、盛り上がるニュース記事としてやっていけないのはわかるが、日本を構成する国会にそのようなどうしようもないイデオロギーを持ち込まないでいただきたい。蓮舫議員の「批判よりも提案」の姿勢を止めさせようとするマスメディアの存在を断固反対する。

「批判と提案は相矛盾するものではない」と大分合同新聞が言っているように、本来であれば提案がなければ批判は生まれないはず。よって提案によって批判がおろそかになると主張する大分合同新聞のロジックが破綻していることを自ら証明をする論説となっている。民進党の得意技はブーメランだが、政権のチェック機能と自負するマスメディアが飛ばしている。まともな政権のチェック機能がない日本であることがわかるだろう。

建設的な批判ができないのが民進党だった。だからこそ変わろうとする民進党が居る。第一野党がまともであることは、国益を守る必須の条件だ。なぜ提案を持ち出す第一野党民進党の姿勢に、大分合同新聞が噛みつくのかが理解できない。こんな新聞社に大分の主権者教育を担わせて本当に良いのだろうか?万年社会党か社民党の感性を持つ大分合同新聞の精神が時代にそぐわないのだ。

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