東九州・四国新幹線を夢物語と揶揄する大分合同新聞の東西南北が宗太郎越え下り一日一本のJR九州のダイヤ改正を批判する

12日の大分合同新聞東西南北が、佐伯駅から宗太郎越えをする下り普通列車が朝1本(上りは2本)になるJR九州のダイヤ改正を嘆いています。東九州・四国新幹線構想のような夢物語よりも「暮らしや人の交流を支える公共手段」を維持することが早急に取り組むべき課題とし、JR九州を批判しています。

佐伯重岡間に関しては、下り2本上り1本のダイヤ改正になる予定。ちなみに現状で宗太郎越えできる普通列車は上下計6本ですが、その半分になるのが今回のダイヤ改正です。確かに困る人がいるでしょうが、こんなデーターがあります。

佐伯延岡間の平均通過人員(特急も含む)が1987年8050人(1日当たり)だったのが、2016年5617人まで落ち込んでいます。重岡駅の利用者は、2013年しか見つかりませんでしたが平均1日15人。元々この区間の鉄道利用者は年々減少しており、それを後押ししたのが高速バスの参入(JR九州バスも参入しているはず)。県南各市からは乗車できませんが、それが意味しているのは「県南に魅力がない」とバス運行会社は言っているようなものであり、それに乗っかったのがJR九州のダイヤ改正という見方もすることができるでしょう。

1日の利用者は0.22人の宗太郎駅は秘境な駅です。僕が利用したときは夕方に降りてしまい、夜まで待つというとんでもない想い出があります。そのとき見上げた夜空が「普段では見えないものがあったこと」を教えてくれました。今回のダイヤ改正は本当に残念ですが、JR九州を批判するのは大分ジャーナリズムの大本営としてあまりにも滑稽だと感じます。
夢物語の話をしましょう。

「爆走社長の天国と地獄大分トリニータVS溝畑宏」の著者木村元彦さんは、大分合同新聞をこう批判しました。

J3に降格した大分トリニータを「一にも二にも勝てないのが原因」と書いていた新聞社が、青野社長を功労者にしたことに対して「ここまで広瀬知事にジャーナリズムが忖度をするのか」、「血税を投じながらJ3に降格させた社長を功労者にし、クラブにジャーナリズムとしてメスを入れない。赤字回避こそを美徳とするならプロサッカーチームなんて作らない方が良い」と、痛烈に大分合同新聞のジャーナリズムの姿勢を批判しています。

これは今回のJR九州のダイヤ改正にも繋がる話なのです。

県南に魅力がある“はず”なんですが、それまで自治体は何をしていたのでしょうか?大分合同新聞がジャーナリズムとして「暮らしと人の交流を支える公共手段の維持」のため自治体にメスを入れることができたはず。JR九州ダイヤ改正への批判なんて、県南の自治体を忖度しているようにしか思えません。

もっと言えばテクニカルな話もできる。法定外新税を作って公共手段を維持させる。それに伴い憲法を改正して地方分権の強固を訴えるなどあるはず。しかしこの新聞社は大分のビジョンも語ることができない。出てくる批判は、地域の人たちにわかりやすく、感情的に処理しやすい手法を取る。それはもっとも楽なJR九州をスケープゴートにすること。

JR九州は東証上場を果たし、経営を多角化して収益力を高めようとしています。その裏でダイヤ改正により赤字ローカル線にメス、そして駅無人化計画を行っています。面白いのは商工会議所などがJR九州の評価をする際に良く使うのが「経営多角化」。

鉄道以外で収益力を高めようとしていることを、経済界から揶揄とも受け止められるニュアンスの言葉が出てきます。ある銀行の頭取は「金融事業に乗り出したら脅威」なんて口にしながら、赤字路線の継続を切望なんてしているのです。JR九州の経営多角化による業種別の競争が起きており、その恨み妬みとして赤字路線批判が展開していることも指摘しておかないといけません。簡単に「公共手段の維持」を持ち出し、JR九州を批判するのはフェアではないと感じます。

大分合同新聞が主張するジャーナリズムって楽な仕事です。というか、批判の本質が“そこ”で良いのかと、この新聞社の視点を本気で心配しています。
東九州・四国新幹線に関して言えば、JR九州の独断でできることではありません。国と県と市が取り組むことであり、今回のダイヤ改正と同列に並べること自体がおかしいのです。新幹線整備に関してのプロセス自体が理解できていないで、JR九州の姿勢を批判する。これが大分合同新聞の力だとすると、県民に何ももたらさない新聞社になってしまいます。

「県南に需要がないなんて、かわいそうだから本音が言えません。すいませーん。反省してまーす」という舐め切ったJR九州のメッセージくらい、大分ジャーナリズムの大本営として感じるべき。ここがスタート地点になっていないから、このダイヤ改正を許した。この見方を僕ら県民が持たないと、大分県の発展なんて永遠にないでしょう。ただ一部の市町村だけ隆盛し、あとは凋落することになる。僕はそれが美しい大分県だとは思いません。

元旦に物流の拠点として東九州の玄関口が大分になると意気揚々な記事が掲載されていましたが、東九州はともかく関西・四国を結ぶ四国新幹線のプランを批判するために“夢物語”なんて書いてしまう大分ジャーナリズムが、大分県民のハピカム(幸せが訪れる)を語っているなんてダブルスタンダードです。
今回の東西南北が、読者の声に出てくるならまだわかります。僕もなんとか許せます。しかし自ら大分合同新聞の顔なんて言っている東西南北が、こんなこと平気で書いている。大分のビジョンがまったくないことが明確になったコラムだと感じました。

木村さんの言葉を借りれば、「JR九州のダイヤ改正の意図を汲み取れないジャーナリズムがある限り、東九州・四国新幹線なんて作らない方が良い」ことになるのでしょう。

大分の可能性について、最も懐疑的であるのが大分合同新聞。大分ジャーナリズムの大本営が大分を貶めている。そうみれば懐疑的ではなく、猜疑的なコラムと今回の東西南北を批判したい。

僕が地政学的に大分を見るなら、「九州の雄」になれる可能性があると信じて疑いません。四国新幹線構想さえ、非現実的な佐藤大分市長のリニア構想の尻尾をつかめたような気がします。しかし行政の監視機関であるジャーナリズムは大分構想さえノープランで、ただ容易な批判できる手法で報道機関を気取る。大分トリニータJ3降格から、大分合同新聞の夢物語の設定が変わらないのは大チョンボです。

「おまえ、あれから何にも変わってねーんだな」と、この新聞社の“大分愛
”の深刻な欠如に僕は嘆く。

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