大分県教委汚職事件と日教組のワードで慌てて逃げる特定野党支持者の教育者であれば、相容れない政治イデオロギーを持つ人間に対し税金で言論封殺ができる大分県。
そのきっかけはMeToo運動を行う大分合同新聞が女子中高生を含めた県民女性に対してスリーサイズを聞いていたことが始まりでした。
そんな新聞社は、けっして「あやまらない」、いや「あやまれない」。
「あやまる」と題して、大分合同新聞の灯に寄稿した昭和学園高校理事長の草野義輔さん。文章の有効性を問うことができる価値ある寄稿と感じました。
責任放棄と謝罪できないマスメディアに苦言を呈する昭和学園高校理事長の草野義輔さん
南アフリカで懸念されているオミクロン株が賑わせていますが、東京2020オリンピックで世界を滅亡させるほどの変異株が誕生する報道をしていた日本のマスメディア。
ただオリンピック開催反対のための根拠がない暴論でした。しかしいまはどうでしょうか?
依然と予断は許さない状況ですが、オリンピック変異株は登場しませんでした。
8月後半に「光が見えている」と言った菅前首相に、ノーベル文学賞受賞予定作家の村上春樹さんは皮肉を込めましたが、実際光が見えていたのは菅前首相だけでした。
正しい評価をせずに2021年衆院選という恐怖選挙の突入を許したのも、日本のマスメディアです。
予想以上に恐怖選挙を理解していた国民が多かったことから、大きな混乱は生まれなかったのは幸いでした。(隠蔽政権を批判するデリヘル総理への一歩を力強く踏み出した隠蔽と逃亡が得意な人間・吉良州司さんが反自民の受け皿になった異常性は、大分合同新聞が追及するべき大分の問題であり、これも責任です)
そんなマスメディアに対し、多くの国民が抱いているモヤモヤを的確な文体で大分合同新聞の「灯」に寄稿した昭和学園高校理事長の草野義輔さん。
草野さんの寄稿は、異常な大分の言論空間に大きな価値があります。
苦言が掲載される開かれた大分の言論空間
大分合同新聞東西南北を批判すると、「ネトウヨになるよ」と揶揄されたり、「内申書に響く」と脅されたり、NIE(教育に新聞を)教員の毒牙にかかる生徒の声も寄せられる異常な義務教育過程が問題視されない大分県。
まぎれもなくセクハラをしていたのに厚顔でMeToo運動に参加できる自社に対し、女性の権利や多様性を訴える大分合同新聞女性記者は沈黙です。
「閉鎖された大分の言論空間」と喚き散らしたい気分ですが、草野義輔さんのマスメディアに向けた批判が掲載されるのですから、それなりに開かれた言論空間とも言えるでしょう。
しかし大分合同新聞には伝わりません。
僕とこの新聞社は、変異的言語で交流しているのかと思うほど伝わらないのです。
反応できない・しない無責任な大分合同新聞
イスラム教徒土葬墓地問題で「まずはイスラムを知ってみたら」と灯に寄稿した彫刻家の意見に同意していた大分合同新聞東西南北。
この件があるのですから、昭和学園高校理事長の草野義輔さんに対する何かしらのアクションも期待できます。
しかしこの新聞は、都合が悪いことは反応できない・しない劣化したジャーナリズムの特性を持っています。無責任な特定野党気質すら感じる特性です。
まんぼう措置を要望をしない広瀬知事を佐伯のマンボウを用いて揶揄をした大分合同新聞。私権制限に批判的ですので酷く矛盾した主張を展開しました。
それでも大分県は、県と県民が合致した方向性と地道な努力で私権制限を強いられずに乗り越えることができました。
大分合同新聞に説明責任と検証とあるいは謝罪を求めるには、十分なコロナ禍の大分があります。
セクハラについては謝罪を求めるには十分です。そちらが始めた人権戦争を、二重基準で犯しているのですから。
セクハラについて最初に声をあげたのは当時の女子高生だったことも、これでもかというくらい強調しておきたい。
過去に問題を起こしたスポンサーと選手に対して「ふさわしくない」と糾弾したことがある大分合同新聞。そんなセクハラ新聞社は、J2降格大分トリニータのスポンサー。
こんなところにも二重基準が存在しており、説明責任が生じている森喜朗さん批判を繰り広げた大分合同新聞です。
文章の有効性を問うことができる価値ある寄稿
すでに説明責任と検証と謝罪が必要な大分合同新聞に、さらに追い打ちをかけた昭和学園高校理事長草野義輔さんの灯。
自分たちが描きたい構図であれば「同意」という薄っぺらく中身がない反応を示すこともできますが、自身が追及されるジャーナリズムや人間性の問題となると、「無視」し続けるのも大分合同新聞の特徴。
問題を大きくするのはマスメディアですので、それにあぐらをかいていることになります。
マスメディアへの批判が紙面で掲載される点は歓迎したいですが、それに対する反論、もしくは誠意がなければ、開かれた大分の言論空間とは言えません。
ぜひアクションできる大分合同新聞であってほしい。
それは「大分の言論空間は死んでいない」ことを意味する価値あるレスポンスになるのですから。
それとも卑怯者はいつまで逃げ続けられるのか。
そんな大分にしますか?