無意識の中に差別があるなんて、ある界隈は言います。
対立を煽っている報道やコラムが散見するマスメディアのようにも見えるのが、大分のイスラム教徒土葬墓地問題です。
妥協点そして折衷案を建設的に探求するのがマスメディアの役割なはずですが、時流である「少数派の声に耳を傾けろ」の一点張りで日出住民の反対派を「人権」で抑圧するようなやり方には違和感しか覚えません。
大分にとってなにも生み出さない問題提起だと感じます。
大分のイスラム教徒土葬墓地問題を提起するマスメディアへの強烈な違和感
個人に、イスラム教徒の土葬墓地が大分にあってほしいと願います。
しかし最近の大分マスメディア報道やコラムを読んでいると、後述しますが「少数派」を庇護する何様的な論調が目立っています。
これではただ禍根を残すだけです。
大分県民にとっても、県在住または九州・西日本のイスラム教徒の方々にとっても、こんな状況で作られるのは本意ではないはず。
だからこそもっと建設的な大分におけるイスラム教徒の土葬墓地問題を提起してほしいと、マスメディアに要望します。
刺激的な題名を付けて土葬墓地問題を取り上げるNHK大分フカイロ!
NHK大分は、刺激的な題名で14日午後7時30分から「フカイロ!」で報道します。
まるで日出住民が悪者のように仕立て上げられているように感じました。
シンプルに「イスラム教徒の土葬墓地問題を有識者と考える」で良いのですが、どうしてこんな刺激的な問題提起になっているのかと、NHK大分推しである僕は困惑しています。
放送直前にタイトルが変わったNHK大分フカイロ!
情報が届きました。
確認してみると、12日にNHK大分は刺激的なタイトルから変更しています。
変更にどのような意図があったのか?
NHKですのでこの変更の追及は必要なのかもしれません。大分は税金で人権侵害が平然とできる県です。日出住民にしろイスラム教徒にしろ人権の問題ですので、タイトル変更は興味深い点です。
大分合同新聞のように不公平で正義を気取る機関のBPOにでも相談するのもひとつの方策。
ただし僕はこういう柔軟性あるNHK大分が好きです。報道機関として適切な問題提起になったと感じます。
NHK大分の柔軟な姿勢を、理想の大分のために歓迎します。
反対派日出住民を知ってもらう努力をしない大分合同新聞
なぜ日出住民のことをイスラム教徒や大分県民に知ってもらおうとする努力を地元新聞社がしないのか?
まったく理解できません。
後述しますが「薄っぺらい少数派の声を聞け」の時流にただ乗っかっているだけで、何をしたいのかわからない無責任なコラムです。
イスラム教徒を知り、地元住民のことも知ってもらう。
ここがスタート地点なはず。
民主主義を標榜する新聞社として、公平が欠如していることすら気付いていない相変わらずな大分合同新聞東西南北で呆れました。
こんな新聞社が教育現場に配布されていることに「NHK大分フカイロ!」は取り上げてほしいと願います。
女子中高生にスリーサイズを聞いて、MeToo運動や森氏女性蔑視批判をするようなダブルスタンダードで成り立っている新聞社であることを、大分県民に知らしめるNHKであってほしいです。
なぜこんな新聞社が教育現場に足を踏み入れることができるのか?
大分の重大な懸念です。
日出住民にすれば地元はメッカ
イスラム教に五行があると教えられました。今風にいえば「五柱」でも良いと言います。
信仰告白・礼拝・喜捨(弱者を助けるのもイスラムの教え)・断食・メッカ巡礼。
非イスラム文化圏である大分で暮らす教徒たちには難しい五行であることは想像できるはずです。例外規定もあり、事情があれば喜捨・巡礼・断食をしなくても良い意外と寛容な宗教でもあります。
五柱のひとつであるメッカ巡礼。
日出住民にとってみれば、住んでいる地域は伝統的に守りたい地です。メッカに関心が高いイスラム教徒であれば、この気持ちは理解してもらえるはずです。
こういう点を置き去りにして「まずはイスラムについて知ってみたら」に同感する地元新聞社の感覚が、もう終わっていると感じました。
だから薄っぺらいのです。
懸念される水質汚染とおんせん県おおいた
福島原発のトリチウムに懸念した大分合同新聞東西南北。伊方原発のトリチウム排出量に無関心な新聞社が福島の風評被害を訴えるのもこの県の質。
これで「大分の海の幸最高!」なんて抜かしているのですから、どんな顔をすればいいのだろう。
こんな大分県を前置きにして始めましょう。
トリチウム問題で韓国の教授が「日本は水源に乏しい」と主張し話題になりましたが、紛れもなくフェイクであることは大分県民であれば十分理解できるはずです。
温泉こそが韓国の教授の主張をフェイクだと断言できます。
活火山であることの恩恵としておんせん県おおいたが成り立っていますが、水が豊富にあることも忘れてはいけません。
イスラム教徒土葬墓地反対の日出地元住民が最も懸念しているのが水質汚染。そうみるとおんせん県おおいたとして、多くの県民が関心を持ってほしい問題であることがわかるでしょう。
大分にとって死活問題になるのですから。
ただし土葬墓地と水質汚染について、こんな論文も発表されています。
土葬墓地と公衆衛生の情報はほとんどない
公衆衛生の専門家ジョン・アシュトンさんが提唱した論文にはこうあります。
- 1998年WHOの見解として、土葬墓地が汚染物質の発生源になるのかどうかの情報はほとんどない
- 感染症の原因となる微生物は懸念材料
- 既存墓地の多くは地元の環境や地域社会へのリスクを考慮せずに設置されている
- 特に防腐処理や棺桶に使用される材料がリスクの一因になるが、伝統的なイスラム教徒の土葬は迅速かつシンプルに綿で覆う
堆肥葬の論文になることから、復活を信じる土葬を選択するイスラム教徒には受け入れられないでしょうが、公衆衛生の専門家が「イスラム教徒の土葬墓地と水質汚染」について指摘しているのは意識する視点です。
イスラム教徒の伝統的で本質的な宗教活動
近代化に対して自分たちの伝統を立ち向かわせなければならないのもイスラム教徒の歴史です。
理想を探し求める行為を異質とするのではなく、本質的な宗教活動であることも大分県民は理解しなければなりません。
水質汚染の心配がない、そして住宅地から離れた日出の土地を探したのもイスラム教徒です。彼らの努力をしっかり認める大分であってほしいです。
敬虔なイスラム教徒は礼儀正しく大分や日本の価値観を共有してくれます。だからこそ歩み寄る姿勢も大分県民には必要です。
刺激的なタイトルでどちらかを刺激するのではなく、理性的にそして科学的に課題をクリアにしていく努力を怠ってはいけません。
よってNHK大分のような「刺激」や大分合同新聞のような「薄っぺらさ」は、ただ対立を生むだけです。
問題はマスメディアにある
「妥協点を見つけ出す」・「批判よりも提案を」。
表現・思想・言論の自由が保障されている日本でこんな当たり前のことを求めなくなった「批判一辺倒」の日本のマスメディア。
理性と公平さを失うマスメディアは大分に必要ありません。
9.11があったアメリカでイスラムを知ろうとする住民が手にとった本と言われています。僕も学びました。大分県立図書館にもありますので読んでみてください。
「近所に相談しないと」な大分県
男性のアレをぶらさげている像を六郷満山の修行地に設置するゴームリー像問題がありました。
根回しを怠る県の姿勢を批判すると、「指原推しのネトウヨ」と批判する(何を言っているのかちょっとわかんない)設置賛成派が意気軒昂に当ブログを批判してきたことがあります。
そのとき「芸術祭の後はあなたのお家の前で設置できますか?」と尋ねると、驚く回答をしてきました。
「近所に相談しないと」
どうやら「近所に相談しないと設置できない像」という潜在的な認識があったようです。指摘すると逃げるんですよね。
こういう薄っぺらい大分県だからこそ、理性で大分のイスラム教徒の土葬墓地問題に向き合わないといけないことがわかるでしょう。
「まずはイスラムについて知ってみたら」に同感する大分合同新聞、または刺激的なタイトルで煽るNHK大分の敷地内に土葬墓地を作ろうと提案するとどんな顔をするのか?
大分合同新聞の原発理論武装になりますので、個人的に興味があります。
こういう点を指摘すると、いろいろと感性が欠けている大分県に触れることができます。だからこそ反対派住民とイスラム教徒側は対等の関係でなければいけないのです。
多様性を税金で阻害する県には重い課題
こんなことが平然と起きる大分県。こんなことが無視され続けている大分県。
そんな県で「少数派の声を聞け」が成り立つのかどうか?NHK大分と大分合同新聞は責任を持って立証していただきたい。
この立証が願いを持つイスラム教徒、または少数派を救うはずです。
当たり前のことができない大分県に多様性ある街なんて、寝ぼけるのもいい加減にしていただきたい。
宗教活動も保障している表現・思想・言論の自由を税金で侵害できる県で、イスラム教徒を守れますか?
イスラム教徒と地元住民の対立を煽る土葬墓地問題提起は解決策にならない
乗り越えなければならない課題がありますが、県がしっかりと仲介することで妥協点や折衷案が見つかるのも、大分のイスラム教徒土葬墓地問題と感じます。
だからこそ刺激的かつ薄っぺらい時流に乗っかる大分マスメディアに、強烈な違和感を覚えます。
あたかも反対派が少数派であるイスラム教徒を抑圧しているようなタイトルで煽るべきではありません。
乗り越えることができる大分の問題です。
反対派日出住民を悪に仕立て上げる。イスラム教徒には知ったようなふりをする。
日出住民もイスラム教徒にもリスペクトを感じないNHK大分と大分合同新聞の姿勢は、ただ対立を生むだけです。
その対立はあったはずの解決策を霞めることになります。そんな未来を主導する大分マスメディアであってほしくありません。
マスメディアの存在意義を見失わないでください。
コメント