幼児である娘さんに「男の子もスカートをはいていいんだよ」と伝える大分の子どもたちを考える川津奈央子記者。
この時期から刷り込みしておくことで、責任を持って多様性と向き合う大分になるでしょう。
だからこそ川津記者に伝えたい。
「多様性」という人間こそが最も差別主義者である大分であることを。
あらゆる違いを受け入れることが多様性と言いますが、教育者が税金で大分大学のIPの偽装し全否定しています。
自身で説明できない人権侵害を捏造し、憲法で認められているあらゆる自由の侵害を税金で行う「憲法守れ」の護憲派。
特定野党そして護憲派であれば、税金を使って多様性を阻害できる。すべては自身の政治イデオロギーを正当化させるため。
こういう差別主義者に担がれた特定野党系の政治家が「多様性」と口にし、差別主義者の支持者に担がれている政治家の問題を徹底無視しているのも大分合同新聞です。
イナムラテツヤ、そして安達きよし議員側が大分合同新聞のサイトで告白した民主主義の根幹を揺るがす事案は、ジャーナリズムとして追及しなければならない事案です。
なぜ消えているのですか?
多様性と口にする人間こそが最も差別主義者であり、無責任な大人たちが「多様性」を口にしている大分であることがわかるでしょう。
こんな教育者と政治家が野放しになっている大分県で、戸籍上の男子児童がスカートを履いて登校し周囲から受け入れられるでしょうか?
男子もスカートを履いて良いですが、それを嘲笑された時、僕等は責任をとることができますか?
そもそも大人の責任として、僕等は大分県で何をやっていますか?
川津奈央子記者に答えていただきたい。とても無責任な発言だと糾弾します。
顕在化されている問題に向き合わず、ただ「多様性」を訴えればいい。その後の弊害は「知らんけど」。多様性を訴える側が最も差別主義者である「面倒な人権問題」は無視すればいい。
これが現状の大分における多様性の顛末です。
あともうひとつ。
2回目ですが、もう一度問いかけておきます。
女子生徒はどんな気分になるでしょうか?
教員と新聞社の癒着構造に見える洗脳系教育プログラムNIEを強調する大分合同新聞・川津奈央子記者に、女性記者として想像していただきたいのです。
東西南北や共同通信社のなぞり書きクソ論説含めて女性蔑視の文字をよく見かける大分合同新聞。しかし最も女性蔑視であるのは川津奈央子記者の大分合同新聞です。
大分合同新聞を含めたマスメディアが森氏騒動で補充した女性蔑視の基準。それに該当している大分合同新聞は自身に絶対に向き合わない。
そんな新聞社の記者から主張される「多様性」。
自社と県のイベント宣伝のために女子中高生を含む県民女性のスリーサイズを聞き、女子高生から始まった批判を受ければ何事もなかったように逃げ、次の女性蔑視を見つけたら顔を真っ赤にする。
これが「大分流の多様性」ってことで良いでしょうか?
随分と薄っぺらい「多様性」の大分県です。