自社と県のイベントを宣伝するKawainfoで、女子中高校生にスリーサイズを聞き性的搾取を行っていたのに恥じることなくMeToo運動ができる大分合同新聞に掲載される大分ガールズ8プロジェクト。
血税で建て直された大分トリニータのオフィシャルパートナーは大分合同新聞ですが、県はそんなクラブと大分にまったく無関心。
そんな県が大分ガールズ8プロジェクトに協力しています。
僕たち大分県民ってサイコで最高に気持ち悪くないですか?
大分ガールズ8プロジェクトを応援する過去に向き合うことができない人たち
まだまだあります。
どんな顔で大分ガールズ8プロジェクトを応援しているのかと人間性を疑う大分合同新聞の女子中高生に向けたセクハラから派生したのが、教育者の女性蔑視。
大分合同新聞のセクハラを無視して、自身の政治イデオロギーを正当化させるために、大分大学教育学部のIPを偽装し税金で基本的人権の根幹である表現・思想・言論の自由を侵害した護憲派教育者。
生徒を守ることよりも自分の破綻した護憲派イデオロギーを税金で正当化した教育者になりますので、女性を利用した卑劣な教育者となります。
ちなみにこの教育者は、大分合同新聞幹部も関与していた「大分の不公平の象徴的事象」である大分県教委汚職事件の議論で逃亡中。
2020東京五輪の女性蔑視をめぐる問題やスポンサーからの苦言、そして言論封殺にまつわるこれらの慣例であれば、社会が許さない大きなうねりが生まれる大分の女性蔑視問題ですが、無視されて続けています。
なぜ問題にならないのかと問われれば、政治思想の相違や既得権益そしてマスメディアの二重基準といった大人の都合です。自分を正当化させるために「女性」が活用されてきた証左となります。
ここに共有するべき崇高な理念は存在していません。
気に入らない人間を社会的に抹殺させるために「女性を利用」し追い込んできた日本社会があります。
そんな人たちが、社会を変えたいと運動する大分ガールズ8プロジェクトを応援しているのですから、僕ら大分県民はとてつもなくサイコで気持ちが悪いと感じます。
女性の社会進出を妨げている大分県の一例として
パリテ法に懐疑的ですが、それでも多様性の観点から女性議員は少ないより多い方がいい。
大分市議会で女性議員が増えたと大分合同新聞は紙面を踊らせていましたが、女性候補者は2名落選しました。
公正と公平の観点から女性蔑視県おおいたが喧伝されていれば女性議員の数は増えていたかもしれません。
自民党高橋まいこさんという女性国会議員を送り出す機会が大分一区にはありましたが、民意に破れました(一連の吉良ウクライナ発言に反発できない高橋さんにも国会議員候補としての素質に問題があると感じています)。
今までの慣例からみても、反自民と自民党支持者から明確な女性蔑視が選挙期間中に行われていたにもかかわらず、女性運動家と親和性が高い「反自民の権益」で問題になっていません。
内存的な主張を持っているであろう大分合同新聞の女性記者ですら、社内の内包的な倫理に取り込まれ「わきまえる女」になり、女性蔑視県おおいたに声をあげることができません。
フェミニスト同級生との会話
高校生の頃から、女性地位向上に関心を持っていた同級生がいました。
大分ガールズ8プロジェクトに参加している生徒さんと同じ制服を着ていた女性で、言葉を濁さずに言えばフェミニストです。
数年前彼女に会ったときに、ふと漏らしたのが印象的でした。
「都合よく取り込まれてしまい、自分たちの主張は2の次になった。今までとは違う公平な新しいロールモデルが必要」
そう彼女は僕に漏らしたのです。
マスメディアに取り上げられ女性地位向上に関心が高い政党からコンタクトがあり(逆の過程も)、自分たちの運動が認められた。
それに喜んだけれど、気付いたときはただ取り込まれただけで自分たちが変えたい世界は「今も同じ」。
挙句の果てには、同性から「めんどくさい人」の視線を感じるように。利用できなくなれば、関心を持っていたマスメディアや政党そして行政の担当者も距離を置く。
「活動で救われた女性もいるでしょ?」と尋ねると、「そうだけど、そんな女の子がわたしたちと同じ”用意された道”を進もうとすることが問題なの」と言われ、返す言葉が見つかりませんでした。
体裁で整えられたマスメディアの情報や本にはない「女性の社会進出をめぐる世界」を知る出来事です。
大分ガールズ8プロジェクトへの願い
7年間、女性蔑視県おおいたを問題視してきましたが、何も変えることはできませんでした。よって僕も女性蔑視県おおいたを支える県民であり、同罪です。糾弾されるべき人たちに含まれます。
7年間何もできなかったのですから。
公平な感覚が崩壊した都合が良い人たちに取り込まれない大分ガールズ8プロジェクトであってほしいと願います。