物を言わせない風潮が悲惨さを生んだ戦争と大分大学の人権派がしたことは同じ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

この記事を読むのに必要な時間は約 3 分です。

無茶苦茶な作戦で多くの命を失ったのも大東亜戦争です。人体実験をした七三一部隊では本来命を救う医師も参加することになりました。「こんなことおかしい」と主張することができない風潮があったことが悲惨な戦争になりました。

よく天皇万歳や大和魂などで片づけられてしまう問題ですが、深くその背景を見つめていけば、いまの僕らが住む世界と同じ状況が戦時中にもありました。出世や左遷をチラつかせて無謀で非人道的行為に走った背景があります。物を言わせない風潮が戦時中にあったことは忘れてはいけません。

そう考えると大分大学の人権派が行ったことは、戦後から何も学んでいない日本であることを指摘せざるを得ません。大分は残念ながらまだ戦争からなにも学んでいないのです。大分合同新聞は平和について紙面を割きますが、平和に逆行している大分大学があることを忘れないでほしい。こんな風潮があの悲惨な戦争を生んだのです。

一般的な保守思想の発言をしている人物に発言させないようにIPアドレスを隠蔽してまで言論を封じようとした驚くべき大分があります。そちらの裁量であれば確実に人権侵害になるはずなのに、どこから来たのかわからない「保守」を持ち出して批判をする。しかも大分大学から300ものユニークアクセスがあるにも関わらず反応はない。組織が間違った方向性を正そうとせずまったく無視している点と、旧日本軍との系統図としての過ちに差異があるように思えません。

平和を考え、慰霊の日に僕は考えるのです。表現や主張することを封じることは、どんな日本もしくはどんな大分を目指しているのかと。戦争を経験した語り手が高齢化しており、その育成が喫緊の課題としてあげられていますが、初めて夜にいった終戦の日の大分護国神社も人が少なく、うら寂しさを感じました。戦争を知らない世代が増えることこそが平和に遠のくのは、どんなイデオロギーであっても共通して危惧するべき点です。だからこそ主張したい人をイデオロギーによって遠ざける大分なんて、平和から逆行しているようにしか思えないのです。

なぜここまで悲惨な戦争をしなければならなかったのか?僕の観点から見るとそれは異議を唱えることさえも封じてしまったこと。終戦の日が近づくにつれていろんな文献に目を通すようにしていますが、そこで出てくる答えは「異議を封じたこと」。いつもここなんです。

だからこそ人権を尊重し多様性を愛するリベラル側が保守であるだけで表現することを奪おうとする行為自体、平和から逆行していると思うのです。大分最高学府からIPアドレスを隠蔽して平然と行われていることに、もっと大分県民は危惧してほしい。保守が戦争好きでヘイト・人権侵害大好きなんてただのレッテルであり、リベラルや左翼は平和を愛するはずなのに攻撃的であり、自分には一切働かない人権侵害の裁量を持っている事実がある。なのにどうしてマスメディアで問題にならないのかが本当に不思議なんです。

夜間とても人が少ない大分護国神社をみて、どんどんあの悲惨な戦争の記憶から遠ざかろうとしている日本を実感しました。そこで出てきた感情というのは、表現・主張することの大切さ。この悲惨な戦争を招いた要因は「異議を封じたこと・主張するべきことを封じたこと」に行きつくからこそ、表現・言論・思想の自由を侵害する人間を許せません。

だから大分大学は完全に間違っています。慰霊だけではなく平和を考える日だからこそ、この視点を僕は持ち込みます。僕は、自ら文化水準が高いことを自負する大分大学の人権派、そして大分大学の300のユニークユーザーが本当に許せません。(学生に罪はないと思います。問題は学府に居られる見識がある人間が重大な人権侵害を徹底して無視していることが大問題なのです)

戦時中のような大分にしたいとしか思えないのです。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す