2026年4月19日大分合同新聞東西南北から

2026年大分合同新聞は、創刊140周年の歴史的な節目を迎えています。140年という長い年月は、本来であれば地域に根ざし、地元の権力を厳しく監視する存在としての信頼を積み重ねてきた証であるはずです。
この新聞が世襲を批判すると長野県に行きたくなる僕は、偶然にも同じ名前の社長が同じことをほざいているのを目にしました。
今回のコラムの題材となった自民党大会での自衛隊員による国歌斉唱という異例の演出については、自衛隊の政治的中立性という観点から疑問の声が上がるのも理解できます。批判されるべき問題点です。
しかしそれを批判する大分合同新聞の看板コラム東西南北2026年4月19日付の論理展開と報道姿勢は、自民党の行為以上に深刻なメディアの病理を感じました。
地方紙が担うべき地元の権力監視という使命を放棄し、特定の政党や中央権力への憎悪をぶつけるための宣伝紙に成り下がった現在の同紙を象徴するものになっています。特に「君が代のルーツは謎めいている」という歴史的ファクトを無視した強引な記述は、読者を欺く極めて不誠実なものです。
同紙がいかに偏ったポジショントークに陥り、自らの主張のために事実と法を歪曲しているかを指摘し、創刊140周年は大分合同新聞の終焉の始まりであると主張したいです。
「君が代は謎のルーツ」左派系メディアらしい大分合同新聞東西南北への反論
このコラムでは、自民党大会での自衛隊員による国歌斉唱を「政治利用」と断じ、高市政権への「忖度」や「思考停止」を厳しく批判しています。
しかし中央の出来事に目を光らせて批判を繰り広げる一方で、同紙は身近な地元選出国会議員に対する監視を完全に放棄しました。
大分合同新聞創刊140周年を宣言したこの日に、自民党を叩くことで権力監視をしているふりをしながら、足元の地元政治家の暴言には目をつむる。
その不誠実な姿勢が、ジャーナリズムではなく左派活動家としての大分合同新聞の姿勢が改めて浮き彫りになりました。
平和主義という名のポジショントーク
このコラムは、自衛隊員の国旗・国歌への敬意に対し、平和の祭典や残酷な軍歌といった言葉を並べて過敏に反応しています。
しかし大分合同新聞は、大分1区選出だった吉良州司氏(2026衆院選落選政界引退)による「世界を知るエリートから圧倒的に支持されている私に反対なら銃を持って戦争に行け」という極めて重大な問題発言については、批判せず黙殺した左派メディアらしい事実があります。
自民党の演出には噛み付きますが、反自民思想のためだけに「国会議員による立法府を超えた反論する国民への直接的な死への呼びかけ」発言はスルーする。
この二重基準こそが、同紙の掲げる「平和主義」は単に自民党を叩くための政治ツールに過ぎないことを証明しています。
事実を無視した君が代への強引なこじつけ
コラムの結びにある「君が代のルーツは謎めいている」という記述は、歴史的事実および立法府が定めた法的根拠を無視した、あまりに強引なこじつけです。
歌詞が古今和歌集にあり、明治期に現在のメロディが完成し、さらに1999年には立法府で「国旗及び国歌に関する法律」が施行したことは、揺るぎない事実です。
ここで特筆すべきは、同紙の「法と事実」の扱いにおける卑劣な二重基準です。
大分県内で起きた「時速194キロ暴走死亡事故」の裁判において、同紙は他の高速度死亡事故で出廷しない被告人を庇う論調を展開する一方で、法的解釈だけを盾に世論を煽り、結果として194キロ事故の高裁で遺族の方々を苦しめる手助けをしました。
法曹界でも「危険な世論構築で誰も救われない」と、大分合同新聞194キロ危険運転特集でも指摘されていたはずです。
「しっかり立法府を挟むべきだ」と。
それでも、自分たちの歪んだジャーナリズムで法解釈を恣意的に利用し、遺族の感情を無責任にジャーナリズムという自己満足のためだけに利用する一方で、国歌に関しては立法府の判断すら無視して「謎」という物語を捏造する。
この論法は、「世界史の授業で日本の歴史を扱っていないから、日本の歴史は謎めいている」と騒ぎ立てる同レベルの滑稽な詭弁です。
そもそも、コラムが引用した『世界の国歌・国旗大辞典』(くもん出版)は、日本の読者(主に子どもたち)に向けて「外国」を紹介することを目的とした書籍です。
すでに日本人が知っているはずの自国の情報をあえて省き、未知の外国にスペースを割くのは、辞典や図鑑の編集方針として極めて一般的な判断に過ぎません。
それを新聞社のコラム担当者が「載っていないから謎だ」と言い張るのは、読者を恣意的にミスリードしようとする不誠実かつ卑劣な手法です。
あまりにも新入社員がかわいそうな大分合同新聞です。
創刊140周年に改めて露呈した大分合同新聞看板コラム東西南北の限界
コラムニストは自民党を「思考停止状態」と非難しましたが、これこそが同紙にそのまま突き刺さるブーメランです。
創刊140周年。本来であれば地元の権力者を厳しく監視し、法と事実に基づいた公正な報道で県民の信頼に応えるべき時期です。しかし実際には、反自民思想だけで地元国会議員の暴言は黙殺し、歴史的事実や立法府の決定すら歪曲してでも政権批判という結論に固執しています。
特定の思想に縛られ、地元メディアとしての本来の機能を失った現在の姿こそ、究極の「思考停止」ではないでしょうか?
大分合同新聞140周年の節目に掲載されたこのコラムは、地方紙がジャーナリズムの精神を捨て去り、その限界を露呈した「敗北宣言」として、後世に記憶されるべきものです。
左派活動家に関連する辺野古での痛ましい事故で露呈したように、メディアやそちらの界隈にはもっとしっかりしていただきたい。
今回のような「思考停止」の報道を続けていれば、最終的にそのツケを被るのは、コラムニスト安氏を含む僕ら日本人であることを忘れてはいけません。
コラムニスト安氏の左派らしい「安っぽいコラム」では、どこにも向かえないと感じます。


