沖縄に心を寄せる大分合同新聞はなぜ「土人」に関心を抱かないのか?

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恋人のように待ち焦がれていたけれども、なかなか大分合同新聞は沖縄の土人発言に関して動きが見えない。「沖縄に心を寄せる」なんて表明したこともある大分合同新聞は、東西南北と共同通信社が書いているかもしれない論説で怒り狂ったように書きなぐるだろうと思っていたが動きはない。冷静なのか、それともどうでもいいのか?

まず冷静だったと見てみよう。確かに土人は肯定されるべき発言ではない。ただこの動画を見てほしい(音出ますよ。シンフロの動画が職場で流れた方、本当にごめんなさい)。土人発言の経緯が理解できているのか知らないが、なかなかの異質な方たちが一方通行で差別だと主張する。 そもそもなぜ大阪府警であったのか?この“事情”を説明するには、真実はどうでもいいプロセスこそが重要な大分合同新聞にしては、焦点をあてるにはなかなか難しい問題なのだ。むしろ冷静というよりか、余計なことを書いてしまうと大分に知られて欲しくない真実が露見するからこそ、書けなかったとみる。

次はどうでもいいの観点から見てみよう。大分合同新聞は基地負担を強いられる沖縄に心を寄せられる新聞社である。土人発言の本質は、反対派の言動も問題であるが、真の本質は基地負担の問題だ。ただ本当に心を寄せているのかどうかというと、それも欺瞞なのである。

去年の夏、戦争法で騒ぎまわった大分合同新聞。安保法制は沖縄の基地負担の問題と、憲法9条の破棄と本当の平和憲法を考えられる良い機会であった。これはデリヘル違法挿入議員である民進党吉良州司先生も指摘していたことだ。なのに、戦争法で論点をずらそうと必死だった大分合同新聞。僕が沖縄県民であれば、こんな記事を量産している大分合同新聞に「心を寄せる」など書かれると、腸が煮えくり返るだけではなく、発狂したくなる。そういう意味でいえば、独立したくなる気持ちもわからなくはない。

本当は「主義主張のために沖縄を利用した」だけなのに、口先だけは立派な新聞社なのだ。そもそも基地反対派と戦争法派は、理念を共有している人たちも多い。こんな人たちが基地の負担軽減など叫んでいても、本質を語っていることにはならないだろう。そんな人が「土人発言の本質」などと、口に出しているのが日本であり、本質を語らせない日本を支えるマスメディアがある。結局帰結する場所は、どうでもいいの無関心だ。

人権に関して言えば、特に大分は人権意識の在り方について危惧しなければ土地柄である。IPアドレスを偽装しそれを指摘されたことで自分の信条が1日も掛からず180度変わり矛先を収めた大分の知性が、運営交付金を得ている場所から平気で人権を利用して誹謗中傷し、基本的人権の根幹にある表現の自由を侵害する大分がある。しかもそれが大分最高学府の大分大学だから絶望する。大分の知性が人権を蔑ろにして震える。釈迦に説法になるが、大分の知性、人権に人一倍関心がある人がこのレベルであることは、人権意識からみる大分の未来は非常に危ういことを意味する。

「差別、差別、差別」などよく口にする誰よりも心優しい人ほど、自分はどうなのかとちょっと胸に手を当てて考えていただきたい。人権侵害や差別とは、周囲を思考停止させて対象者を断罪するのに簡素な言葉である。だからこそ自分の主義主張のために、安易に利用する人が爆発的に増えてきた。こんなことばかりしていれば、本当に立場が弱く利益が明らかに損なわれ差別されている人を守れなくなる世の中がくるだろう。人権は活動家の主義主張を正当化させるものではない。個人に尊厳を与える言葉である。人権は本来の重みを失くしつつある。

創られた人権侵害で沖縄の問題は解決できない。本質が語られないからこそ、本土の人間が沖縄を苦しめている。「アメリカなしの国家主権とは?国防とは?」を考え、実行に移すことが沖縄の負担を軽減する。なのに戦争法ではしゃぎまわった去年の失われた夏があり、憲法9条の在り方に踏み込むと軍靴の音が聞こえてくる耳鼻科が必要な大分合同新聞がある。こんな人たちが“沖縄問題の本質”を語りたがるのだ。まさに笑止千万である。

さすがにそんな新聞社が、今回の土人発言に口は出せない。書かないのは、むちゃくちゃなロジックを持ち、沖縄のことを何も考えていない自身と向き合った反省がそうさせたと思いたい。でもそれで終わるのは困るのだ。マスメディアが主義主張を一旦置いて“本質”に踏み込まなければ、沖縄の問題は絶対に解決できない。

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