
「選挙戦第1日目報告」として吉良事務所から届いた一通のメール。 その直後に、本人から慌てて送信された「訂正メール」。
この二つの文面のちぐはぐさから透けて見えたのは、単なるスタッフの勇み足ではありませんでした。そこには、長年感じ取っていた吉良州司氏の「優生思想と選民思想」と、民主主義を軽んじる政治姿勢そのものが凝縮されていたのです。
このメール騒動から、吉良州司氏という政治家が大分1区にとって本当に必要なのか?その本質と選択について問います。
騒動の火種となった吉良州司陣営本音の一文
誤解、いや有権者への侮蔑とも受け取れる決定打となったのは、最初のメール(スタッフ記述)にあった次の一節でした。
「しかし、これは、吉良州司にとっては、望むところです。」
訂正し釈明するほどの不謹慎な内容ではありませんでした。それでも刺さる人は刺さるのでしょう。
一体何が問題だったのか?
連合大分からの推薦がなくなり、従来の戦い方が崩れたことに対し、スタッフはこの状況をあろうことか「本人が望んでいることだ(歓迎すべきことだ)」と言い切りました。
これは苦しい状況をポジティブに見せようとしただけではありません。「自分たちに従わない組織など不要だ」という、心の奥底にある排他性がポロリと露呈した瞬間とも見えます。
スタッフの暴走と本人の火消し 露呈したいつもの吉良ファーストから来る欺瞞
スタッフの記述と、それを打ち消そうとする本人のメール。並べてみると、その認識のズレは決定的です。
| 項目 | スタッフの記述(最初のメール) | 本人の真意(訂正メール) |
|---|---|---|
| 組織支援がない状況 | 「望むところ(歓迎)」 しがらみがなくなり、個人の選挙ができるからむしろ好都合というニュアンス。 | 「厳しい・複雑な事情」 これまでの構図が壊れたことは確かだが、決して歓迎などしていない。 |
| 支援組織への態度 | 言及なし(無視) 組織離脱を「望む」としたことで、今も支えてくれている組織への敬意が欠落。 | 「心強く勇気づけられている」 困難な中で「一緒に戦う」と決めてくれた組織に対し、感謝を強調。 |
| 戦い方(両輪) | 「両輪ではなくなった」 組織は関係ない。個人(生活者)だけで戦う孤高の姿勢。 | 「新しい両輪で戦う」 「草の根(きらきら会)」と「残ってくれた組織」、この新しい協力体制で戦う。 |
「政策が合致したー」なんて言える暴力肯定主義で生活者ファーストを捨ててまで守りたい誇り。神風特攻隊のような一部の連合大分の人たちには、刺さるメルマガだったのでしょう。
2026年衆院選は、大分1区のそんな連中の相打ちを狙う選挙でもあります。
なぜ誤解では済まされないのか?
最初のメールにあった「望むところです」という表現は、単なる書き損じではなく以下の2点で致命的でした。
- 支援者への非礼と軽視 「組織の支援がなくなることを望んでいる」とも読める内容は、厳しい情勢の中であえて支援を決めた労働組合や団体に対し、「自分たちの支援は迷惑なのか?」という不信感を抱かせます。支援者を都合の良い道具としてしか見ていないのでしょう。いつもの吉良ファーストです。
- 独善的な孤立 本人は「新しい協力体制」を築いているつもりですが、メールからは「自分さえ良ければいい」という独りよがりな姿勢が滲み出ています。あれだけ仲が良かった国民民主党からも評価されていなかった実態。「他と違うことができるオレすげー」な幼稚性を最後まで貫きたいのでしょう。
そもそも本当にスタッフの暴走だったのかも、吉良州司氏を知り尽くした一有権者の感覚として怪しいようにも感じるのです。
「望むところ」の裏にある焦りと虚勢
あえて「望むところ」と言い放つ強気な姿勢。これは自信の表れではありません、むしろ陣営が抱える「大きな懸念」の裏返しの防衛反応と見るべきです。
客観的に見て組織票の喪失は危機的状況です。これを「望むところ」と言い切ってしまうのは、支持者を欺いてでも不安を打ち消そうとする虚勢であり、誠実な政治家の態度とは程遠いものです。
吉良州司氏のベネズエラ侵攻を予言(実際は「コロンビアにエネルギー政策の種がある」の趣旨つまりここでも虚勢の吉良)していたメルマガの更新が滞りました。
国民民主党からの支持だけではなく刺客を送り込まれることを聞き、酷く慌てた。「世界を知る私」を国会質問だけではなくプライベートでもこすり続ける余裕がなくなった。
そんな前日譚を想像すると、吉良州司氏の虚勢も理解できないわけではありません。
民主主義を否定する「優生思想と選民思想」と支援者の本質
今回の件は、メールの表現ミスというレベルを超え、吉良氏を支える組織の異質さと、吉良州司氏自身の民主主義の否定という根本問題を浮き彫りにしました。
大分1区を就職活動の場にする「良識がない」のは誰か
かつて吉良氏は、自分を支持しない有権者に対し、こう言い放ちました。
「自民党に投票する人は良識がない」
「自分に投票する人間だけが知的で、他候補に入れる人間は愚かである」と断じるその姿勢。それは、多様な民意を尊重する民主主義の根幹を真っ向から否定する「優生思想と選民思想」そのものです。
この発言はこんな吉良州司氏の異常性の萌芽でした。
「希望の党とは距離を置く!選挙落ちたー!でも希望の党で比例復活!虚勢で就職成功!」ここから無所属になり、国会質問をせず「世界を知る私」のキラニーをこすしつづけ、「幻の打ち返し」なんていい始める異常者になりました。
吉良州司氏にとって、大分1区とは就職活動の場です。
そんな国会議員に何が出来て、何を期待するのか?支援者や一部の連合大分、そして長年こんな国会議員を問題視しなかった大分マスメディアの異常性も指摘しておきましょう。
これだけはない優生思想と選民思想。ウクライナ戦争の一騒動でもありました。
「世界のエリートから支持されている吉良」一連の「私に反対なら銃を持って戦争に行ってください」も懐かしい。
なぜこんな異常な国会議員がまったく問題にならないのか?大分1区の知性の敗北とも言える象徴的な人物が、吉良州司氏です。
あと最近では、参政党と保守党を排外主義のポピュリズムと批判していました。
本当は吉良州司氏こそがポピュリズムの天才なのですが⋯。
問われる支援組織の思想
さらに、吉良氏を支える一部の組織や労組に見え隠れする思想も看過できません。もし仮に、彼のバックボーンに以下のような思想を肯定・容認する勢力がいるとすれば、それは市民生活を脅かすものです。
- 「銃を持って戦争に行ってください」という姿勢
- 「中小企業は潰れてもいい」という弱者切り捨ての論理
- 「やらされている仕事をしている労働者には賃上げは不要」というよくわからんロジック
これが連合大分の一部から許容されているのですから、恐るべきことです。
こうした過激な主張を持つ人々に支えられながら、一方で他者を「良識がない」と罵る。そんな政治家が「生活者主権」を謳うこと自体が最大の矛盾であり、大分1区の有権者を愚弄しています。
吉良州司氏の政策は、紛れもなく生活者ファーストではなく吉良ファーストです。
生活者ファーストの自己否定
生活者ファースト。吉良州司氏が掲げるこの看板は、一体誰を向いているのでしょうか?
本来、生活者ファーストとは、弱い立場にある労働者や、懸命に生きる個人の暮らしを最優先に守る考え方のはずです。しかし「努力不足と見なした会社員は切り捨ててよい」「体力のない中小企業は淘汰されても構わない」という強者の論理を是認しているのであれば、それは生活者を守るどころか、生活者を切り捨てる行為です。
労働法の保護を軽視し、雇用不安を煽るような思想を受け入れている時点で、吉良州司氏は自身が掲げる理念を、自分自身の政治姿勢で完全に否定しています。言っていることとやっていることが真逆であるという事実は、以下の記録からも明らかです。
【参照資料:生活者切り捨てを裏付ける吉良州司氏の事実】
大分1区に虚勢の吉良州司氏だけは必要がない
今回のメール騒動は、氷山の一角に過ぎません。その根底にあるのは、「自分こそが正義であり、異論を挟む者や支援を止める者は切り捨てても構わない」という傲慢な姿勢と虚勢です。
有権者の選択を「良識がない」と否定し、生活者切り捨ての思想を持つ組織を「新しい両輪」として歓迎する。そのような人物が国政の場に立つことは、民主主義に対する脅威です。
これまで民意を蔑ろにし、他者をあざ笑ってきた吉良州司氏に対し、明確な「NO」を突きつける時が来ています。
民主主義を否定し、生活者ファーストを自ら放棄し、相容れない日本国民を死に追いやる新自由主義の政治家・吉良州司氏は、大分1区に必要ありません。




