大分1区有志の会代表・吉良州司さんを議員辞職に追い込む事実しかない2択クイズ

吉良州司議員が最悪の改悪なサイトリニューアルをしたので、当ブログが反論に引用した吉良議員のブログ記事に容易に辿り着けなくなりました。意図的な国会議員による表現・思想・言論の自由を侵害する工作活動として非難します。

吉良州司議員事実上の参政党と日本保守党批判 ポピュリズム台頭論をめぐる再考

連日ブログ更新をした大分1区吉良州司議員です。わたしの前回の反論と重なるところもあるでしょう。

よって、今回は吉良州司議員が論じた資本主義の限界と民主主義の機能不全、そして極右政党・ポピュリズム政党の台頭について反論します。

問題意識そのものは深く理解できるものです。しかしその分析には見過ごせない視点の欠落と、政治家としての立ち位置を自己正当化しようとする色合いが濃く混じっているように見受けられます。

スポンサーリンク

企業利益と生活者利益は本当に相反しているのでしょうか?

吉良議員は、IT化やグローバル化の進展によって企業利益が生活者の豊かさに結びつかなくなり、両者が相反する関係になったと述べています。

しかしここで注意すべきなのは、企業利益と生活者利益の乖離は資本主義そのものの必然性ではなく、制度設計と政策判断の結果だという点です。

賃金が上がらないのは、企業が利益を上げているからという単純な理由ではありません。

  • 労働分配率の低下を放置してきたこと
  • 競争政策が機能せず一部企業に利益が集中してきたこと
  • 税と再分配の機能が弱体化してきたこと

これらはすべて政治選択の帰結です。

「企業利益が増える=生活者が苦しむ」という対立構図を強調することは、問題の所在を分かりやすく見せる一方で、政治の責任を曖昧にします。

資本主義の限界ではなく政治の自己検証不足では?

吉良議員は、現代資本主義が限界に達しそれが民主主義の機能不全を生んでいると論じます。しかし資本主義は本来、成長と富の創出を担う仕組みであり、それをどのように分配し社会の安定に繋げるのかは政治の役割です。

  • 再分配政策
  • 競争政策
  • 労働市場改革
  • 教育投資

これらを十分に行わず、過去の成功体験に依存してきた結果を「資本主義の限界」と呼ぶのは、政治自身の責任を外部化という責任転換しているように映ります。

自民党政権への批判になるのでしょうが、吉良州司議員のわかりやすいが正しくない理論という、ふわっとした診断はできるが治療までに持論展開で時間が掛かる医師のような視点から見ても、野党にも十分な政治責任の所在があることを忘れないでいただきたいです。

スポンサーリンク

マズロー理論を国家に当てはめることの限界

吉良議員は、社会や国家の発展段階を説明するためにマズローの欲求5段階説を援用しています。

この比喩は直感的で分かりやすく、一読して理解しやすいものです。しかし同時に政策論として用いるには慎重さが求められます。

マズロー理論は、あくまで「個人の心理」を説明するための仮説であり、国家や社会を単一の人格のように扱うことには本質的に無理があります。

国家は多様な利害・価値観・階層を内包する集合体であり、欲求が段階的に整然と進むわけではありません。現実には、経済的に不安定な状況に置かれながらも自己実現を果たす人は存在しますし、衣食住が満たされていても強い承認不安を抱える層もいます。

北欧諸国が比較的安定した社会を実現しているのも、「資本主義を抑制したから」ではなく、高負担を受け入れる社会的合意や強い競争政策、労働移動の柔軟性など、極めて政治的・制度的な選択の結果です。

マズロー理論を用いることで議論が分かりやすくなる一方で、それが資本主義の限界を説明する決定的根拠であるかのように扱われるなら、かえって問題の焦点をぼかしてしまうでしょう。

比喩としての有効性と政策分析としての限界は、分けて考えなければいけません。

吉良州司議員のわかりやすいけれど正しくない理論を強調するための権威付けと解釈しますが、こんなところもこの議員の悪い癖が出たと感じます。

生活者優先を語る前に問われるもの

吉良議員は最後に「企業優先ではなく生活者優先の政治」を掲げています。しかし生活者優先とは具体的に何を指すのでしょうか?

賃上げなのか、再分配なのか、地方への権限移譲なのか?そこが曖昧なままでは、スローガンに留まってしまいます。

吉良議員はこの問いについてまったく答えてくれません。いつも持論展開ばかりで、肝心なことはまったく答えないのです。

さらに言えば生活者優先を掲げる政治家自身が、日常的に生活者の現場に立っているのか?吉良州司議員が地元の声を国政に届けているのかが問われるべきです。

これは吉良州司議員の長時間の演説になる国会質問の是非の論点にもなるでしょう。

スポンサーリンク

吉良州司議員が指摘する極右政党やポピュリズム台頭をどう捉えるべきか?

吉良議員は、生活者の不安や不満が極右政党やポピュリズム政党を躍進させたと指摘しています。政党名を名出ししてはいませんが、事実上の参政党と日本保守党批判です。また共産党と、選挙で支援されている社民党にも批判的な箇所も見受けられます。

この問題提起自体は的外れではありませんが、その説明はやや一方向的であり、既存政治の側に向けられるべき視線が弱いように思えるのです。

人々がポピュリズム的な政党に惹かれる理由は、単なる感情の噴出ではありません。

多くの場合、それは「既存の政治が自分たちを代表していない」「声が届いていない」という感覚の積み重ねの結果です。

説明責任を果たさず、現場に足を運ばず、変化を先送りしてきた政治への不信が、別の選択肢を探させているのです。

大分1区について誰のことを指しているのかがわからないのであれば政界引退を勧めるほど、誰でもない吉良州司議員のことを指しているのです。

選挙区でもないのに視察をした地元に帰らない吉良州司議員は佐賀関火災を政治家として利用

この点で考えさせられるのが、吉良議員ご自身の行動との関係です。

地元に戻らず、地元で起きた重大な出来事(194キロ事故は大分1区で起きた事件)を国会で取り上げませんでした。一方、選挙区でもない佐賀関火災は視察しました。この行動は、ポピュリズム台頭という政治環境の変化を強く意識した結果と受け止められても不思議ではありません。

大分1区選出議員の期間中に数々の大分にまつわる自然災害等ありましたが、視察するまでの関心を持つ、またはそれをアピールすることまではしなかった吉良州司議員です。

前回の自民党大逆風だった衆院選で自身の得票率が芳しくなかった焦りからくる、「あらゆる可能性を探る政治家」としての佐賀関火災の不幸の利用に見えるのです。

吉良州司議員の事実上の参政党と日本保守党批判

参政党や日本保守党をはじめとする新興勢力の存在が、既存議員にとって現実的な脅威となる中で、「極右」や「ポピュリズム」という言葉が前面に出てきた点も、文脈として無視できないでしょう。

ポピュリズムを批判すること自体は重要であり、民主主義を守る上で避けて通れない課題でもあります。

わかったつもりにさせることに長けている吉良議員が正しくない論理で有権者を懐柔し、当選し続けている大分1区を見れば、ポピュリズムへの批判は必要です。

ただし国会議員がそれを行ってしまえば、民主主義の否定に繋がりかねません。

既存政治の立ち位置を守るための自己防衛的な言説として受け取られる場合、有権者の不信を解消するどころか、かえって強めてしまう危険性があります。

吉良議員の反対派に銃を持たせる発言を「問題にしない大分1区」であったとしても、いずれ目覚めるときが来るでしょう。

スポンサーリンク

極右批判が生む逆効果

新興勢力を一括して「極右」や「ポピュリズム」とラベリングすることは、短期的には支持層の結束を促すかもしれません。特に「自身と相容れない人物には死を求める」人権意識に問題がある吉良支持者が多い大分1区にとって、強い効果を発揮するでしょう。

しかし同時に、それは新興勢力に投票した有権者をも否定する行為になってしまいます。

結果として、「既存政治は自分たちを見下している」「だからこそ既存政治を壊したい」という感情を強め、ポピュリズムをさらに加速させます。これは欧米諸国で既に繰り返されてきた現象です。

ポピュリズムの台頭を本気で止めたいのであれば、必要なのはレッテル貼りではなく、なぜ人々がそこに希望を見出したのかを直視することではないでしょうか?

自身に反対する日本国民に戦争に行ってほしいと発言した吉良州司さんと、そんな国会議員を支持する護憲派色が強い連合大分を始めとする立民・国民・社民の大分県支部という「反対派は死んでも構わない」非人道的な吉良支持層には、こんな訴えは届かないでしょうが…。

スポンサーリンク

ポピュリズムの原因は吉良州司議員にはないと考えているのでしょうか?

ポピュリズムや極右の台頭の原因は、既存政治が積み重ねてきた距離感と説明不足こそが、最大の要因ではないでしょうか?

反対派に銃を持たせ戦争に行くよう促し、企業と生活者を対立させ、金利で生き残れない中小企業は潰れてもいいと発言し、資本主義の限界を語り、参政党や日本保守党といった政党に極右のレッテルを貼る前に、政治家自身がどれだけ現場に向き合ってきたのか?

その自己検証なくして、民主主義の再生は語れないと考えます。

その自己検証がまったく足りていないのが、有志の会代表吉良州司議員です。

みなさんこんにちは、上野嬢と申します。(大分論壇さんが吉良さんの性的スキャンダルにかけてつけたかどうか知りません。「【丞】と【嬢】をかけた」とは言っていましたが、わたしは信じていません。)

吉良州司さんのご出身校とは、かねてより何かとライバル視される関係にあり、正直少しうんざりしていた高校(最近私服登校が許可された)の出身です。

最近の吉良州司さんの国会議員としてまた言論人としての酷すぎる発言や姿勢に、国内でも大分でも十分な反論が見られないことに疑問を感じていました。

そのような中で、大分論壇さんからお声がけをいただき、執筆させていただくことになりました。

あくまでこれは「反論」であり、吉良さんのように「すべて自分が正しい」と主張するものではありません。

あくまで学術的な一般論として、意見を述べさせていただきます。

吉良さんの学術的には受け入れることができない主張を正確に理解できず、なんとなく賛同しなんとなくわかってつもりになる支持者の方々に。

また「吉良さんは何を言っているのかよく分からない」と感じておられる方々にも届くように、できるだけ分かりやすく丁寧に反論をまとめていきたいと思います。

なお、ここでは吉良さんの性的スキャンダルについて、女性の立場から直接批判することは控えます。

ただし10年間も吉良州司さんの性犯罪や不倫疑惑の説明責任が果たされないままという現状、そして吉良さんの国会議員としての素質や資質に目を背けてきた大分合同新聞のkawainfoセクハラ事案がなかったことにされていることは、女性としてやはり見過ごせない大分県の羞恥な問題です。

この点については、本家の大分論壇さんにお任せしつつ、私はあくまでも酷すぎる吉良さんの主張に対して、両論併記の役割を担いながら反論するだけです。

どうぞよろしくお願いいたします。