白水鉱泉に驚く三浦春馬さんの寛容なツイッターから学べない大分県

もちろん大分も登場する三浦春馬さん(著)。大分市民図書館にあったような気がします。

この本を読んでいませんが、雑誌で三浦春馬さんが47都道府県で訪れた連載記事を読んだことがあります。そんな時って、大分愛を注ぐ者であればまず我が県が気になりますよね。

そこにあったのが温泉法が及ばない一般認識の温泉ではなく、白水鉱泉の天然炭酸水。面白い視点を持つ方でありきたりでないところに、好感を持ちました。

だからよく覚えているのです。

白水鉱泉を大分の日本製に選ぶ三浦春馬さん

知っている方であれば一癖も二癖もある天然炭酸水。でも県外であれば非日常の魔法を紡ぎ、新鮮な感覚を与えるのでしょう。

蛇口から出る天然炭酸水に驚いた三浦春馬さん。

僕ら大分県民であれば蛇口から出てくる液体といえば温泉であり、それが大分における代表的な日本製になるはずですが、そんなありきたりな選択を彼はしなかった。

湧き出る天然炭酸水のなかで泳ぐそうめんを口に運んだ時の不思議な感触。シロップを入れて飲んだ天然炭酸水はお世辞でも僕は言わないソーダーにあっさり変えてしまう。

汗やマイナイスイオンなんかで黒髪が濡れるイケメンの写真。心を奪われる女性ファンの気持ちがわかる表情がそこにありました。

そこにサウナがあって水風呂は炭酸泉、そして森の中の静かな外気浴。その宣伝に彼を使ったらすごい反響あるだろうなと「大分サ道」構想すら湧出してきます。

大分愛を表明する者として告白しますが、白水鉱泉をはくすいではなく(しらみず)と読むと知ったのは記事がきっかけです。

三浦春馬さん、ありがとうございます。

うろ覚えですが、三浦春馬さんが日本製で選ぶ大分はこんな感じでした。

スポンサーリンク

イデオロギー闘争に巻き込まれた三浦春馬さんのツイッター

民事的な本人同士の問題が世間の関心事になる芸能人のスキャンダル。それに対し、三浦春馬さんはこのような発言をしました。

存在してはいけない意見と断罪することなんてできないツイートです。白水鉱泉を選んだあの三浦春馬さんの発言とあり、寛容さが溢れていてよく覚えています。

しかし予想しなかった出来事に彼は遭遇します。

芸能人のスキャンダルに熱くなれる心お優しい人々の怒りの奔流と同時に、「国力」のキーワードが右翼や保守に結び付けられ、政治イデオロギー闘争を生む事態となりました。

保守憎しの大分合同新聞東西南北でよく触れられることから大分県民ではお馴染みの飛躍的論理「国粋主義」と彼にレッテルを貼る人も表れる事態。

僕が三浦春馬さんの白水鉱泉の記事を読んだのが数年前だったので、著書の日本製を出版した今年の春にはまた掘り起こされる事態となったのだろうかと、そんな想像に難くない今の日本社会。

彼の寛容な意志は「国力」のパワーワードを嫌うイデオロギーで掻き消されてしまった。それが多様性を愛する界隈からの攻撃であったこと。

寛容な社会を作りたいと本気で願う人にとっては、計り知れないダメージであり、孤独を強く感じた彼の出来事だったでしょう。

三浦春馬さんの寛容な意志にすらたどり着けない大分県

こんなことが税金を使って平気で起きる大分県。

特定野党支持の護憲派教育者が表現・思想・言論の自由を税金で侵害しない大分を
「コドモニージンケンヲーシュケンガー」の日教組ですが、大分大学のIPを偽装し税金を私物化して人権侵害をする護憲派立憲民主党支持の教育者ハンドルネーム豊川さんを確認。この人物は都合が悪くなると逃げました。特定したいので関係者は協力してください。

「皆んな間違いを犯さない」ことから「立ち直る言葉を紡ぎ出す」用意はしているのですが、何にせよ明るみにならないことをいいことに反省しない大分県があります。

大分合同新聞は#MeToo運動に取り組むのに、女子中高校生にスリーサイズを聞き、我が県の誇りである大分トリニータホーム戦のセンターサークルにスポンサーとして登場しています。

大分トリニータのホーム戦で出現する大分合同新聞のセンターサークルシートを考えてほしい
今季大分トリニータホーム戦でセンターサークルシートを提供する大分合同新聞。大分は本当にこれで良いのだろうか?

税金で間違いを犯した教育者。護憲派の教育者が憲法で保障されているあらゆる自由を侵害するなんて、どんなレベルの大分県なのか、僕にはこの質がまったく理解できません。

最後の民事訴訟が終わり事実上の終結となった大分県教委汚職事件こそ、この県の「明るみにならない」シンボルそのもの。

こじつけのように政治イデオロギーを絡みつけて本質を置き去りにし多様性を愛する界隈が、「人権」や「社会分断」を叫んでいる世界や日本。大分県も例外ではありません。

三浦春馬さんがいう「明るみにならないことが清い」大分県が確かに存在し、その界隈が明るみになった事案を叩くのも僕ら大分県民は数多く見てきたはず。

大分の再発見に寄与した三浦春馬さんの寛容な意志にすらたどり着くことすらできていない「明るみにならないことが清い」大分県。

換言すれば、間違いを犯し反省した時に立ち直れる社会を語れる段階にすらたどり着けていない大分県。

こんな大分に気付くと、無力感しかありません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました