互いに知り尽くしている姪の話はそこそこにして、若い人のカルチャーに触れることが話を弾ませる「大人の慣習」として得た彼女が好きな音楽。
YOASOBIから言葉を借りれば、僕らは夜を駆ける。そして互いの目的地にたどり着く。
マンションのエントランスの郵便受けを互いに確認し、エレベーターのボタンを僕の階まで押してくれる女子高生。この空間は最後の馥郁となる。深呼吸をするほど、僕はありきたりではない。
彼女が先に降りた時、手を降ってくれたのがとても嬉しかった。
この世代の女子でひとまわりほども違う年齢の男性に手を振りながら別れを告げられることに定評がある僕としても、近年稀に見る美しい光景だった。
振られていない手には、アイスバーの棒が入っているであろうミルクバーの袋。
大分大学のIPを偽装した教育者から税金で変態と勘違いされるエコな男の私費による企画「君が食べたアイスバーの棒をください」を提案したい欲求がかすむほど、こんなちょっとしたマナーも彼女によく似合っている。
彼女は振る手に収めなければならないアイスを思い出し、エレベータのボタンを押し閉まろうとする扉を再び開ける。手を振る過程で扉を開けた動作がなにかに似ている。
左足を前に出す甲斐キャノンだ。効率良くアイスの回収に成功する女子高生。
次の日、彼女とお母さんが訪ねてきた。制服ではない私服も、なかなかどうしてかわいい。
大切に育てている娘さんだとわかる丁寧で優しさが伝わるお母さん。アイスバーと彼女が直前で取り戻したカップアイスが日本茶とお煎餅になって返ってきた。
お母さん、僕は物々交換で起きる稀有な価値よりも多くを得ている。言葉にするときっと何かが壊れてしまうであろう収穫について、お母さんに伝えるのはエゴであり野暮だろう。
女子高生の匂いという倫理で生まれた少しばかりの後ろめたさが生じるものの、確かに女子高生の甘い匂いを連れてふたりで夜を駆けた。
そんなことを思い出すのも、oitaが過ぎますかね?
女子高生の匂いを感じられ幸せになれる製品
僕がいう女子高生の甘い匂いとは、ひとまわり歳が違う姉の匂い。つまり母性。特に男性のみなさんは違う想像をするのでしょうね。
そんな僕とは違う変態チックなみなさんが幸せになってほしい。僕は多様性を愛します。僕とは内心の自由が違うのも人間なのです。それを受け入れるのが大分の多様性であると夢をみます。
女子高生の匂い、つまり姉の匂い、さらにいえば母性の匂いを追求してきた僕が、みなさんの内心の自由のなかで楽しめるおすすめしたい製品がこちら。
「女の子はソープだよね」と、とある過激派から言葉狩りを受けそうな妻ちゃんの愛用でこの匂いを知る。
妻ちゃんから感じた女子高生の匂いを、夜を駆けて実証済み。
これもoitaが過ぎますか?
特定野党支持者の護憲派教育者が、税金を使って「私費で行う表現・思想・言論の自由」を侵害できる大分県。
これらの自由は憲法で保障されている基本的人権の根幹です。
公務員を想起する特定野党支持者の護憲派が憲法を知らない絶望的で恥辱的な大分県に、表現・思想・言論の自由は本当に存在しているのか?
だからこそ挑戦したい企画・「oitaが過ぎるでしょうか?」。不定期連載。
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