実家の妻への愛が強すぎることで感じた孤独な帰省

トロツキーが好きなことから、僕の妻ちゃんは結婚してから彼女のごく親しい友人からツマツキーと呼ばれています。彼女の名前は「あ」が最初につくことから、仮に「あーちゃん」と呼ばれているとしましょう。

実家に帰った時に僕が直面した孤独は、母や父・姉らの家族に愛されまくりな妻ちゃんからもたらされました。年末年始の孤独な帰省のお話をしましょう。

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実家に帰った時、家族と最初に会話をしたのが「おかえり。あーちゃんは?」。荷物を僕が運んで遅れて妻ちゃんがついて来たとしても違和感を覚えました。

この家は子どもたちの名前で出迎える仕来りがあったはず。姉らや僕も「パパ・ママおかえり」が慣例だったはず。僕の名前は呼ばれず、妻ちゃんの名前が最初に出てきた衝撃。

母を始め、父そして姉、その姪たちも揃って「あーちゃんは?」と、まるでファミリーの意思疎通が図られたように尋ねるのです。そのみんなが待ち望んだ「あーちゃん」が登場すれば、拍手でも起きそうなほどの歓迎ぶり。

無意識に一歩下がった僕は、まるで彼女のマネージャーのよう。一歩引いて歩くタイプってこういうことを言うんだね。

赤ちゃんの甥に接するツマツキー。キャッキャしながら「あーあー」を繰り返すのですが、それすら「あーちゃん」にしか聞こえない。

8歳の頃からツマツキーは僕の家に出入りしており、歳の離れた姉、僕とひとつ上の姉も妹のように接してきました。一人っ子だからツマツキーも「仮想お姉ちゃん」ができて嬉しかったようです。

特にひとつ上の姉は中学では吹奏楽部の先輩・後輩の関係で、本当の妹のように接していました。結婚を報告した時の姉から送られてきたラインメッセージは凄かった。忘れもしない。

「でかした。本当の妹になってめちゃ嬉しい」。

僕らの結婚よりも、ツマツキーが妹になったことを喜ぶリバタリアン。姓が一緒になっただけで真の妹と判断する保守的な考え方すら、自由主義に内包してしまう姉の感性。

彼女の旦那さんと姓を共有していない結婚をしていることから、僕と同じ名字を名乗ることができるようになったツマツキーも「お、お姉ちゃん」って赤面しながら言う。「なかなか慣れないね」と照れながら僕に言いますが、シラネーヨ。

それほどふたりの絆は強い。

我が家にとって、つまり赤の他人の関係をツマツキーと共有するであろう長女の旦那、あいつもおかしかった。ツマツキーに「お兄ちゃん」なんて呼ばれて、気分よくしている長女の旦那。お姉ちゃんと中学の頃から付き合っていたことから、年の離れた幼少期の僕とよく遊んでくれた。

僕もお兄ちゃんと思っていたけれど、貴様との関係も考える時が来たな。

長女の姪が僕にニコニコしながら近づいてきた。めっちゃかわいい児童で僕のことが大好き。僕も大好き。年末に手を繋いで散歩していた時パトカーとすれ違ったが、怪訝な目で僕を見ていた大分県警の警察官。僕を仮想ロリコンにしたこいつらも、義兄同様許さない。

この姪なら僕と血が繋がった絆を見せてくれると思ったが、期待は裏切られました。「あーちゃんからちょっと早いお年玉貰ったんだけど、ふたりで一緒じゃないよね?」。こっちも「あーちゃん」。そして彼女はちゃっかり成長している。

旦那の実家に帰るのが辛いなんていうけれど、ツマツキーは恵まれているのでしょう。

でも僕が彼女の実家でお正月に1泊過ごした時は、お義父さんと辛い神経戦を繰り広げることになりました。

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