クロスカントリーのコースを走ったとき、虫が気になります。僕の天敵スズメバチがいるのではないかと考えてしまうのです。この時期は僕が育ったお気に入り地域をランニングコースにして走っているのですが、木が多いコースだからスズメバチが気になってしまう。
僕は女性が好きですが、きっと愛されるよりも愛したいスズメバチもいるはず。先日襲われそうになったときは威嚇で終わったのですが、ひょっとするとアプローチをかけて引いたのではないか?押して引くの理論。
走りながらスズメバチの脅威を考えていると恋愛理論に行き当たる僕の変態さは、大分の脅威になってくれたらいいのに。
スズメバチの被害妄想的脅威の観点から、お気に入りコースは秋からが本格的なコースとなっています。枯葉を踏みしめながらBill Evansの枯葉なんて聞きながら走ると最高。村上春樹さんみたいなことを言いましたが、ほとんどミスチルしか聞いていません。
桜の中を走り終えたら、そのコースは秋までお預け。緑萌えると今度は毛虫の季節ですから。
Bill Evansの軽快なタッチと僕が踏みしめる枯葉の感触。そして学校から聞こえてくる吹奏楽部の音階練習。このようなセッションを楽しんで走っている時に、ふと考えたのです。
NHK大分寺澤敏行アナは何を考えながら走っているのだろうか?
マラソンに参加するから、タイムについて考えている。月と強い輝きを得た金星をスマホで収めるように周囲の季節の変化を感じながら走っているようにも思える。もしかしたらマスメディアを使った大分のクーデターを考えているのかもしれない。
アウシュビッツの図書館係に出てくるレジスタンスが心を無にしながらトレーニングに励むのですが、それでもどこからしら抑制されている自分たちの現状が頭をよぎる。日常を忘れることが目的になるトレーニングですが、それでも無にしてくれない日常がある。
だから僕は心を無にして走るトレーニングをしているのですが、なかなかうまくいかない。
含み笑いしながら自転車を漕ぐ女子高校生とすれ違った時、僕と目を合ったことで恥ずかしそうに顔を赤らめる様子なんてみると「かわいい」と思ってしまう。好きな男の子について、なんて考えているのかなと。
そうなると僕の過去を思い出し笑ってしまう。今度は前から女子高校生2組と目が合い、先程の女子高校生の恥ずかしさを共有することになる。
走ることで心を無にできない理由は、世の中の循環を感じ取ってしまうから。走ることは感じること。NHK大分寺澤敏行アナブログの更新の多さの理由は、ここにあるのかもしれません。
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