自動販売機の取り忘れた釣り銭を持ち去るのは窃盗罪。たとえ持ち主から離れていたとしても遺失物等横領罪の犯罪行為になります。
自動販売機のお釣り返却口を確認し、それを持ち帰るおじさんの話をするのはoitaが過ぎますかね?
1.お釣りの返却口を確認する自販機おじさん
これは高校生の頃に聞いた話という体でいこう。
彼は自動販売機のお釣り返却口を確認しているおじさんを何度も見掛けていた。
スーパーの帰りだろう。商品が入ったレジ袋を相棒に、すれ違う自動販売機のお釣り返却口に指を入れて硬貨を確認する作業。
彼がよく見掛ける道では5台ほどの自動販売機が連ねている。そこに指を入れる作業だ。あるとすれば10円以上900円以下の世界だろう。そのために指を入れる。
おじさんというか初老である。自販機のお釣りを頼りにしていることから、生活に困窮しているおじさんのように彼には見えた。
彼には友達がいなかったが、勝手に帰り道についてくる同級生がいた。その同級生は「あーはなりたくない」なんてことを言ってきた。
彼は同級生に「10円いま作れよ。お前の財布じゃなくて10円をいま稼げよ」。そういうと「またはじまった」という顔を彼にする。
このようにして女の子が大好きな彼は同級生の同性を遠退かせることに成功してきたが、こいつだけは違った。漢文で卑猥な文学を作る天才の話はいつかしよう。
ある日、また自販機おじさんに出会った。
2.彼は好奇心から偽善者となる
10月17日更新
彼はふと考える。
「10円以上900円以下の世界をおじさんにみせることができる」
500円玉は常に持ち歩いていたことから、先回りすることにした。計画は自販機に500円玉を入れて一番安いジュースを買い、そのお釣りがおじさんに渡ればいい。
彼は好奇心から偽善者になることに決めた。自分で作ったお金ではないその硬貨で計画を立てる。
連ねて点在する自販機は直線的であることから、おじさんからは彼が見えている状態。すぐに購入をしてここから立ち去る必要がある。
自転車に乗ったまま、コインを入れる。しかし500円を認識しない自販機。やり直すがまた認識しない。
自販機おじさんは迫ってくる。
焦る彼は自転車から降り、再び硬貨を投下する。今度は認識した。適当なドリンクを購入してそれを手に取る。
しかしここでもトラブルが起きる。なぜうまい具合に角度がついて自販機から取り出せない缶の状況がこんな時に生み出されるのだろうか?
ようやく取り出せた時、自販機おじさんは距離を詰めている。
彼は自転車に飛び乗り、釣り銭を残して立ち去る。
すると背後から張った声が聞こえる。聞いたことがない声だが、正体は明らかだ。
彼の狭すぎる先入観の世界で生きる偽善者は、振り向くしかなかった。
自販機おじさんは彼に言う。
「取り忘れていますよ」
彼には理解ができなかった。そのお釣りは、自販機おじさんが欲しかったはず。おじさんに近づき、「ありがとうございます」と手のひらを差し出し戻ってきた彼のお釣り。
先入観は愚かだ。
3.自販機おじさんは「年の瀬だから」そういった
10月18日更新
それから何度か見掛けたが、印象的な出来事があった。年の瀬の夕暮れ、彼は自販機おじさんを見掛ける。
神社に入るところを確認した時、彼は不穏な空気を感じた。だから観察することに決めた。賽銭箱の前に佇むおじさん。鈴緒を使ってガラガラと音を鳴らす。なんて律儀な不穏をまとう人物なのだろう。
どんな風に目的を果たすのか?その後の対応が頭をよぎる。警察から感謝状はごめんだ。彼は警察からの感謝状を断ることができることを体験している。
手をかける瞬間に声を掛けて、そんな事案もなかったかのようにおじさんを遠ざける。これが彼の面倒なことを避ける最適解だった。
その瞬間を見逃さないように自販機おじさんを観察していると、ビニール袋を取り出した。賽銭箱の前に屈み、その袋を掲げる。
声を掛けるなら今だ。
声を絞り出そうとした時、賽銭箱のなかから音が聞こえた。まるで意思を持って硬貨が動き出したかのような音だ。
なにこのおじさん、こわい。
角度をつけるためおじさんに近づき動作を確認をすると、ビニール袋を逆さまにして賽銭箱に硬貨を入れている。
彼が踏む砂利から気配を感じたのだろう。自販機おじさんは振り向いた。「お釣りを取り忘れた時の少年」そんな顔をして彼にいう。
「年の瀬だからね」
自販機から集めた硬貨を賽銭箱に入れた。それが先入観の思えてくる。それだけ意外性ある行動だった。
1日に集めた硬貨は然るべき場所にその日に届けているのかもしれない。賽銭箱に入れたお金は、おじさんがスーパーで買い物をした時に出たお釣りの端数をかき集めた硬貨たちかもしれない。
しかしどうしても自販機の取り忘れ硬貨と結びついてしまう。
自販機おじさんは目的を果たすために、彼に背を向け参拝の作法で神様と向き合う。
おじさんのターンだった。彼が立ち入る空間はそこには存在していない。そして彼は立ち去った。
それから自販機おじさんを見なくなった。
自販機の返却口に手を突っ込んでいる人を見掛けると、この時のことを彼は思い出す。
年の瀬の意味、そしてなぜあれから見かけなくなったのか?
自販機おじさんの生き方と彼の先入観はあまりにもかけ離れていた。
人間はそう単純ではないのだ。
特定野党支持者の護憲派教育者が、税金を使って「私費で行う表現・思想・言論の自由」を侵害できる大分県。
これらの自由は憲法で保障されている基本的人権の根幹です。
公務員を想起する特定野党支持者の護憲派が憲法を知らない絶望的で恥辱的な大分県に、表現・思想・言論の自由は本当に存在しているのか?
だからこそ挑戦したい企画・「oitaが過ぎるでしょうか?」。不定期連載。
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