エイプリルフールであることから、こんなことを考えてました。大分大学IPアドレス隠蔽事件をネタにしよう、と。
大分大学から平然と人権侵害をし、いつも人権に厳しいマスメディアや人権派がだんまり。しかも多様性を標榜する大分大学からたくさんのアクセスがあるにも関わらず完全無視。こんな大分の知性だから、大分大学でレイシスト養成学部の創設を検討というエイプリルフールネタでも書いてやろうかと。
IPアドレスを隠蔽してバレないように人権侵害をするネット戦略、人権派を名乗れば人権侵害を正当化できる、他人にあてる物差しを自分にあてることを拒むなど、主に隠蔽工作とメンタル面の強化を育成し、表現・思想・言論の自由を大分から締め出すための学部創設を大分大学が検討している。
なんて。
しかしながら、入学式も近いですし、なによりも学生に罪はありません。問題は経験と知見がある大分大学の職員と大分の知性の感性なのですから、学生に問題はまったくありません。せっかくの門出ですのでお祝いするべきだと考えました。そんなときちょうど大分を考える良い機会を与えてくれた方がいます。
名古屋に栄転するNHK大分の田中アナです。最後の出演となるしんけんワイドおおいた番組内で「大分を離れることになったけれど、正直嫌です。また帰ってきたい」と発言。
夫であり親であるからこそ、大分の風土を評価した発言なのか?寺澤アナのブログ、通称寺澤タブロイドで反省会にて男泣きをしたことが伝えられていましたが、NHK大分というチームを離れることの哀愁なのか?いろんなことを憶測することができますが、田中アナの発言はまぎれもなく「大分が大好き」であること。
「また戻ってきたい」発言は大人の心得として受け止めるべきですが、それでも富田アナのようなこともあります。落ち着いててしかも周囲がよく見えており、なにより子供に関するニュースに関して優しい表情をし、温かいコメントを残す田中アナ。いわば大分のパパのような存在でした。
そんな大分のパパが大分大好き発言をしたとき、僕は嬉しくもあったけれど、過大評価されすぎているようにも感じたのです。僕はこの県は田中アナが評価するほど、美しいとは思いません。僕は大分に対しての可能性を諦めません。しかしそれほど綺麗な県だとも思えない。
結局、大分のニュースって、僕ら大分県民が作るんです。悲しいニュースも嬉しいニュースも。NHK大分もしくは大分マスメディアができるのは、ニュースを作ることではなく、伝えることだけなんです。
僕が考えていたように、エイプリルフールという盾を使って恣意的にユーモアもなく大分大学に向けたフェイクニュースを作るようなことは、まず大分マスメディアはしません。大分合同新聞のように意見の相違から生まれるフェイクニュース扱いはあったとしても、ニュースを捏造するようなことは大分ではないと信じたい。
最終的にはどんな大分にするのか?その主導は僕らが握っていることになります。アナウンサーにとって大分から名古屋行きは栄転になるけれど、それでも大分が好きだと発言してくれた田中アナに対して、僕らができるのはそれに甘んじるのではなく「どんな大分にしたいのか?」この認識を持って生活をすることのように思えるのです。
新年度が始まります。大分県民ひとりひとりが「どんな大分にしたいのか?」。この認識を持てば、あらゆる方向性から大分が見えてくるはず。意見の衝突が生まれるのも必然的ですが、だったら議論をすればいい。しかし今の大分はそれができない。「言葉尻を捕え差別を捏造し、保守だから意見を述べるな」としたのが、大分大学IPアドレス隠蔽事件です。イデオロギーで支配されて他者のイデオロギーを大分の知性が封じるなんて、これほど滑稽なことはない。
大分で起きるすべてのことを網羅することはマスメディアでも無理でしょう。しかし現実に信じられないようなことが大分の知性から起きています。それでも大分が好きだと言ってくれた田中アナに対して最大限のお礼をするなら、こんな大分を終わらせることだと個人的には思います。
ひとりひとりが大分に対して疑問を持つことで、この県は変化を生むはずです。口先だけではない「誰でも住みやすい大分」を僕らは探し求めるべきです。認識と疑問をこの県に持ってほしい。
仮に田中アナが大分に帰ってきてくれるようなことがあれば、さらによくなった大分を感じてもらいたい。そのときに初めて「大分が大好き」と言って別れを告げた田中アナにお礼ができると考えます。
それを大分論壇のコンセプトにするのも悪くないと思ったりもするのですよ。自分にとっての栄転は大分だと、田中アナが胸を張って言える大分になれるよう努力します。
また大分で田中アナと会いたらいいな。
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