バラバラ殺人事件の被告人裁判で、裁判所は求刑通り20年の懲役を言い渡し、被告人は控訴した。するとある人がこんなことを言った。「懲役20年で済んだのにこれ以上何を望むの?もしかして死刑のために控訴したの?」。するととある人がこんなことを言う。「求刑以上の刑を被告人は望めませんよ」と求刑通り20年の懲役刑を言い渡している裁判に、裁判所のシステムを精通しているはずの人が指摘をしてきた。
「死刑を望むの?」っていうのはアイロニーであると多くの人が気付くはず。人権派といった側面を無視して、このとある人の意図を汲むのであれば「アイロニーをかました人が気に入らないから指摘した」としか僕は思いつけない。なぜ無視したのかと言えば、その仮想人権派は「私も罪が軽いと思っています」と述べているから。言うならば互いに人権派とは言えない同じ穴の狢。人権派といった側面はなく、アイロニーという意図を汲まない単純に気に入らないから指摘をしたことになる。
知性派らしい人が意図を無視し、気に入らないだけで整合性のない指摘をする大分がある。
どこかしらに意図があるものだ。今回の大分合同新聞の「安倍マリオ政治的宣伝?」の意図を汲むなら、「安倍が嫌い」になるのだろう。ただオリンピックと政治的イデオロギーは相容れない関係であったはず。そうでなければならなかったはず。五輪精神というが、実はまったく持ち合わせていないのは大分合同新聞であることがよくわかる。
安倍マリオは、実は北島さんだったとしよう。しかしあの物語は安倍首相がリオオリンピック閉会式に出席しなければならないのに、いまから国会議事堂から出発したのであれば間に合わない設定。そこでマリオとドラちゃんに頼もうというプロットだったはず。あれが北島さんだったら、何のためにリオに行くのかとなる。「2020年東京オリンピックPRのために行くからマリオとドラちゃんに頼もう」というプロットを書く脚本家はまさかいないだろう。
世界の首脳が集まる閉会式だったからprime ministerを素材として使った。「どこでもドアでよかったじゃん」という意見もあるだろうが、日本の裏に位置するブラジルという演出のためにドラちゃんはマリオの土管を掘った。このように脚本家や演出家、または監督の意図がある。
たとえば僕が大嫌いな岡田さんが首相であっても、あの演出をした表現者たちに素直に拍手を送りたい。岡田マリオ嫌いだけど、「政治的宣伝?」なんて僕は書かない。岡志位マリオを無視して表現者たちの意図を称えるだろう。でも「そのボール赤くて似合っていますよ」くらいは言うかもしれない。
僕も実は安倍首相でなくて、アスリートを主役にするべきとは思うが、あのプロットであれば安倍マリオが無難な演出だった。あの場に日本らしさをもちこみ違和感なく登場できるのは、安倍首相だったというだけだろう。岡田首相でも志位首相でも、松井首相(仮)でも「楽しかったよ」と言える大分マスメディア筆頭であってもいいと思うのだ。
本来であればここはイデオロギーをしまう場所であるはず。そういう主権者教育をしているのであれば仕方がないかもしれないが、それじゃ学生も楽しくないだろう。マスメディアが、そうまるで韓国や中国のように、スポーツにイデオロギーを持ち込んでしまえば、せっかくの主役であるアスリートも気持ちよく実力を発揮できない。「こんなつまんないことばっか指摘しているから大分トリニータもJ3に落ちたんじゃないの?」と、大分合同新聞に難癖付けたくもなる。
なんだかもう大分合同新聞には余裕がないようだ。過激派みたいになっちゃって心配している。
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