ドジっ子の話をしたい。ブラタモリの近江アナのように愛されるドジっ子は多い。同じマンションにもそんなドジっ子がいる。マンションの郵便ポストで起きた出来事を紹介しよう。バレンタインデーが憂鬱な男性のみなさんに和んでほしい。
玄関前で鉢合わせをした高校生。顔見知りなので適当なあいさつをして、同時に郵便ポストに向かう。セキュリティーを解除し、ロジックがフワフワしている大分合同新聞夕刊とどうしようもないDMを受け取り、エレベーターに向かおうとした。彼女も一緒にエレベーターに乗ろうと急いでいたのだろう。慌ててしまったのか、バックから豪快に教科書を床にぶちまける。それを一緒に拾ってあげると、数Ⅲと他の理系参考書があったので、きっとリケジョなのだろう。
彼女が広げた所有物を、自身のバックに戻そうとしたとき、するりと手から落ちる筆箱。打ち所が悪かったようで大開放だ。今度はシャーペンや蛍光ペンなどが広がる。消しゴムは解放されたことを喜ぶ囚人のように跳ね回り、それを追いかけていく女子高校生。ペンを拾おうとしゃがもうとした僕の前で急に駆け回らないでほしい。
それにしてもシャーペンだけで5本以上あったような気がする。彼女曰く、教科別に分けて使っているらしい。ペンに教科別の神が宿る瞬間を想像した。神を呼び込もうとする彼女は自分のダッフルコートの丈をローファーで踏みつけ、しりもちをつこうとする。彼女と真正面で何かとマズイ状態になることから、彼女の腕を掴んで体制を整えてあげた。よって、まったく見えていない。
「いや~なんですかね、わたしって」なんて言いながら顔を真っ赤にしている彼女とペンを拾い集めていると、シャーペンの芯のケースを見つけた。蓋が壊れており、そこから数本の芯が顔を出していた。彼女のローファー近くである。嫌な予感がした矢先に、彼女はそれを踏みつける。砕け散るシャーペンの芯。
顔を見合わせ、「もう大丈夫なのでエレベーター乗ってください」という彼女。エントランスに現れない住民。ドジっ子と交流。このシチュエーションは僕に与えられた特権のように感じ、余裕がある大人のふりをしながら、彼女の要求を拒否し、砕け散った芯をひとつひとつを導かれるように一緒に拾い上げた。
細かい砕けた芯が残っているので「このくらい大丈夫だよ」と救世主である僕が言うと、彼女は毅然と反論する。「砕けた数ミリの芯をそのままにしておくわけにはいきません」。僕の完全敗北だ。ゴミの廃棄に関する県条例かなんかで捕まってしまう可能性があった僕を救うドジっ子。芯はしっかりしている正義ガールである。
絵にかいたようなドジっ子女子高校生であったが、 とても素敵な子である。あいさつははっきりにっこりと。倒れた自転車を起こしたり、道端に捨てられた空き缶を拾い上げたり、そんな風景を何度も見掛けたことがある。中学生の頃からそんなことをしていたことを知っている。マンション周辺の小さな秩序は彼女が保っているような気がするほど、住民も素敵な子だと認めていると思う。
散らばった参考書のなかには某名門大学の赤本もあり、彼女は志望校に無事合格した。去年の年末に見掛けたのだが、ちょっと見ないうちにとても綺麗な女性になった。僕の方が下層であるのに一緒に降りようとしたドジっ子ぶりは気になったが、いざというときは落ち着いて対処できる子がドジっ子には多い。僕はそんな女子をたくさん知っているし、彼女もきっとそうなのだ。
それにしても彼女は、女子の理想的な香りがする。女子ってどうしてあんないい匂いがするのだろうか。僕が家に帰ると、蓋を開けるのに苦労したことでぶちまけられたゴマ油の匂いを振りまきながら「おかえり」なんて言うもんだから、こちらも困ったドジっ子である。
ちなみにこちらのゴマ油系ドジっ子も、いざとなれば強い。覚悟を決めたときは、想像できない圧倒的な強さを見せるのがドジっ子大分娘である。
(気付いてくれた方ありがとうございます。社会実験も兼ねています。フィクションであった場合、ここに表現の自由を主張できるか?それでも大分大学の人権派が主張する倫理観、女性蔑視に該当するのか?)
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