別府に訪れた観光客を写した明治の写真に、おっぱいを丸出しにしている女性がいました。タモリさんは「当時はおっぱいに相対的価値がなかったのかも」と話しました。タモさん、大分では「おっぱい」は差別的言動・女性蔑視の用語らしいです。IPアドレスを偽装してまで主張する大分大学の思想差別をする人権派がいます。
ロビー活動はほどほどにして、タモさんは別府をこう評しました。
個性的な温泉。
地形から、成り立ちから、そして観光都市へ尽力した人たちの想いを評価した言葉のように感じます。しかしその個性をゆがめることが起きました。広瀬知事はマークに対して、わかりやすいようにするべきといった姿勢を見せたことがあります。
マークの起源説にはいろいろとありますが、確かなことは別府温泉の父である油屋熊八が全国に広め、このマークは定着しました。経産省には逆らえない元通産省かつ初代経産省の事務次官であった広瀬知事の真意はわかりませんが、別府温泉の父が根付かせたマークの変更を賛成するのがおんせん県おおいたの父なのか?という疑問も湧いてきます。温泉だけに。
ちなみにおんせん県おおいたの宣伝にもマーク多用されています。これがモチーフとなったデザインもあります。(シンフロ、桶ちゃんも)簡単にマークを裏切るお父さんなんて、いやだ。
結局、経産省は現状と新しいマークの併用を用いることに落ち着きました。よって新しいマークも大分でこれから見られるでしょう。この動きは海外からの観光客を招き、観光立県として正しいあり方であることを否定はしません。
しかし観光というものは、非日常を体感できる場でなければなりません。「こんなマークを大分ではずっと用いていて温泉とともにある街なんだよ」という主張があってもいいはずです。
新しいマークにしないことで実質的な大きな損失が生まれるとは思えません。むしろ変える方が看板の費用などで負担が大きくなると、長野別府市長は懸念していました。ゲストを完璧におもてなしすることによって、今まで築き上げた文化がなくなることがあれば、それこそタモさんがいう個性的な温泉は魅力を損なうことになるでしょう。現に別府温泉を広めた人と、このマークは切って切れない関係です。
良いタイミングで大分県の財産である温泉に向き合うことができたと感じています。広瀬知事の「マーク変えていい」発言 があり、このタイミングでタモさんに個性的な温泉であると評価してもらえた別府が取り上げられた。
ゲストのために変わるのではなく、「街そのままの文化をゲストに知ってもらう」姿勢が大分県の観光にあっていいと思います。これこそ、観光地は個性を保ち、観光客は非日常を体感できるウィンウィンの関係が成り立つ。
そもそも日本に観光目的で訪れる外国人は、日本文化が気に入って訪れていることを忘れてはいけません。だからこそマークは大分県の大切なシンボルであり、それを守るのがおんせん県おおいたのプライドなのです。
ちっぽけなマークでちっぽけなプライドでしょう。でもそんなつまらないものを守り続けたことを、大分に訪れる観光客に伝えられる機会がいずれ来るかもしれません。そんなときが来るとしたら、それは「大分の魅力」に変わってくるのです。
それはかなり年数が経たないとわからないことでしょう。しかしそうすることによって、文化は魅力として評価されてきました。その時が来ることを信じて待ち続ける姿勢は、きっと大分県の観光にプラスに働くと、僕は信じています。
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