コミュニケーション能力と想像力がない大分合同新聞が「そだねー」で安倍首相を批判する27日の東西南北

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カーリング女子の意思疎通であった「そだねー」を引き合いに出し、相手の意見を一旦受け入れることをしない安倍首相はコミュニケーションができないと、27日大分合同新聞東西南北が批判しています。また心理学者アドラーの言葉「違う意見を言う人はあなたを批判したいわけではない」を引用して、自分の意見を頑なに主張する人が多いと指摘し、その代表格が安倍首相のようです。

アドラーが指している違う意見というのは、批判だけではなく建設的な意見ができる人物です。つまり対案を提示できる建設的な人物となります。専門業務型裁量労働制で国会がまた空転していますが、野党側は批判しかしない。裁量性にしても、その業務外になれば賃金表を適用することを明文化するなど提案すれば良いのですが、出てくるのは国民そっちのけでいつもの安倍おろしの国会。コミュニケーションができないのは野党も同じなのです。あの野党の姿勢が意見と映るなら、ジャーナリズムとしてあまりにもお粗末に感じます。

見るべきところが見えていない。そして見たいところしか見ていないのがこの新聞社。自分の意見しか受け入れられない深層を感じることができます。

そんなにコミュニケーションができない世の中を嘆くのであれば、大分には恐るべき大分大学IPアドレス隠蔽事件があります。そんなにコミュニケーション言いたいのであれば、この問題解決を地元として行うべきです。大分合同新聞を含めた左翼・リベラル・人権派に、コミュニケーションなんて存在しないことを証明した恥ずかしい言論事件です。認めたくありませんが、これが大分の知性の本質です。

もうひとつ。大分合同新聞東西南北の異常性を指摘しましょう。

五輪で話題になった言葉を使って安倍首相を批判しているのが大分合同新聞。これはオリンピック憲章さえも理解できていないことを証明しました。世界中で共通認識されている精神。憲章にもあるように、平和を共通認識し統一チームとして出場することはあっても、オリンピックを使って打算的に政治利用することを多くの方は好みません。これはカーリング日本女子も望んでいないはず。苦しいときも笑顔のカーリング娘を見て感動した人たちは、安倍首相を批判するために「そだねー」が出てくることに嫌悪感を示す。こんなことも想像できない新聞社がコミュニケーションを説くのですから、びっくりしています。

オリンピズムを無視して安倍首相批判のために「そだねー」を引き出してきた新聞社は、コミュニケーション能力どころではないジャーナリズムとして致命傷となる想像力が欠けていることがわかるでしょう。憲章を無視し「自国の首相だから、表現の自由」とか持ち出しそうですが、そんな雑な主張よりもジャーナリズムとして軌道修正するべきです。普通に批判すれば「いつもの見えていない大分合同新聞」だと見逃しました。しかし五輪を持ち出すとなれば話は別です。ジャーナリズムとしてあまりにもお粗末。批判だけでは建設的な意見ではないので、この新聞社の立て直しを考えましょう。

大分県民が鬼スイープし、この新聞社のストーンをジャーナリズムとしてあるべき位置に導くのもひとつの方策。JR九州の批判でも、自治体を忖度するなんて酷すぎる醜態でした。読者の声ならまだわかるのですが、複合的に多角的に物事を判断できないのですから、ジャーナリズムではありません。

だから大分合同新聞は、左翼・リベラル特有の不得意な“コミュニケーション”をしましょう。想像力がないのですから、会話をするしかありません。この新聞社に対する批判を目にすれば、こんなこと書かなかったはず。この点はこの新聞社の安倍首相評とまったく同じ。それに気付いていないことから、安倍首相のコミュニケーション云々は自分たちに返ってくることになります。

また東西南北を僕らの世代である若い人材に任せるのもひとつの方策。ここで「そだねー」を使うなんて、古臭さしか感じられません。それと異常性。読者の声ならまだわかる。しかし知見がある新聞社が五輪と政治を混合させてしまえばそれは負けです。読み手の想像もできないのですから最悪。立憲の山尾さんではありませんが「朝日か毎日に入れてもらえ」と言ってあげたい。

あ、朝日と毎日に失礼か。ごめんなさい。

「そだねー」で政治の互換性を求めるべきではありません。「そだねー」は笑顔で使うからキラキラする。だから力を持った。政治との相性は最悪です。

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