大分県で感染者0を更新続けていた時期に「感染者が増えた」で非難されるGo Toトラベルを使って、野暮用で県外を飛び出した時のことを話して今年を終えましょう。
鉄板焼きのシェフは緊張していた。
有頭海老を鉄板の上で焼きながら解体している手が震えている。一部が切り離された時、鉄板に押し付けられて絶命した海老が頭に装備していた兜のような殻が僕の目の前まで飛んできた。
僕は思い出す。NHK大分の記者が姫島産の車海老を頭からバリバリと食べていたことを。
周囲の客がシェフを笑っている。でも僕には何が面白いのかわからない。
「プロだから」や「鉄板焼きのパフォーマンスとして失敗している」ことが笑いの源と推測できるが、目の前のシェフは芸人ではない。何かしらの事情があって手が震えるほど緊張しているのだ。
これのどこが面白いのだろう。
コロナ禍だからこそギスギスしたくない。でも「医療従事者に感謝を」なんて言いながら、読者の誹謗中傷を許していた大分合同新聞のように看過する人間には絶対なりたくない。
唐突にシェフを守りたくなってきた。あの「侮辱するな」のような気分だ。笑っている方に聞こえるように放つ。
「頑張って作ってくれる料理が一番おいしいよね」
僕の連れがまとう「あぁ始まった」という空気と同時に、ひな壇の芸人のような席に緊張感をまとった帳のようなものを感じたが、少なくても笑いは消し去った。
するとどうだろう。シェフの緊張が解け、テキパキと解体できるようになる。
海老の胴体の殻を切り離した時は、自信を持ったパフォーマンスのように見えた。シェフはきっとこのさばきに名称をつけているはず。名も知らない絵画の名前を知りたくなるような気分。明日には忘れるだろうが…。
たったひとりわかってくれるだけでいい。たったひとり寄り添ってくれるだけでいい。それだけでひとりを解放できる。世の中は思っている以上に単純なんだろう。
お皿に盛り付けられた海老は、鉄板で焼き付けられた殻も一緒だった。
あのNHK大分の記者をまた思い出す。嘲笑をかき消したもう何も怖くない僕はそのシェフに「殻も食べられるのですか?」と聞こうと目を合わせると、頭を下げられてしまった。
言葉がなくてもしっかりと伝わる。
ここまでされると黙って出されたものを食べるのが作法だろう。レモンもテキーラを飲む時のように処理するほどの覚悟を持って、シェフが出した処理をすべておいしくいただいた。
レモンについて。僕は料理に絶対にかけない。だからからあげに勝手にレモンをかけるような会食には参加したくない。
その後ホテルの部屋に戻る。「なんだか食べた気がしないよね?」と価値観が同じの妻ちゃんが言うので、それに同意し近くで見つけたラーメン屋に向かった。
ガーリックライスを食べたのに、チャーハンを頼んで妻ちゃんが半分以上を僕に押し付けたのは予想外だったが、ラーメン屋にある喧騒が高級店の鉄板焼きのお店にも存在しているのが意外性ある発見だった。
高級店の格式は誰が守るのだろう。僕は出過ぎた真似をしたのかもしれない。でも双方が築くのが格式の保全だとも感じる。
世の中は複雑にすることができる。
今年もいろいろとやり残したことがあり、出し切った一年かというとそうでもありません。
大分合同新聞のスリーサイズ事案や特定野党とその護憲派支持者の欺瞞についても、まったく進展がないですし、いつものように逃げ切りのビハインドを負う年で終わります。
それでも完全なる僕の拙い趣味を嘲笑うことなく、毎年のように付き合ってくれるある意味な読者のみなさんに感謝しています。
「おかしいことを無視する大分」と感じる中高生の声が今年増えたことに、「イヤッホォォォ」と嬉しさを隠せないお兄さんでもあります。「今度会いませんか?」と中高校生を装う美人局の輩は1000倍返しだ。
みなさんが居るから、僕は狂っていられます。
それではみなさん、よいお年を。来年もよろしく。
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