別府署カメラ設置事案について会長声明を出した日弁連は大分で侵害される表現の自由について関心を持ってほしい

このような声明を出した日弁連は、2度「表現の自由」を用いた。大分論壇は基本的人権の根幹にあるのが表現の自由という認識を持っているが、日弁連も同じのようで「市民の政治活動の自由、表現の自由等、民主主義社会において最も尊重されるべき権利」と主張している。

大分論壇は去年の6月5日午前10時から12時の間にこのようなことを大分大学の人権派に要望された。 大分論壇は、大分の地域に特化した「だいぶ」というニュアンスで意見を述べる場であり、読者もそのニュアンスのもとで読んでいただいていると思う。しかし大分大学の人権派は「政治や地方自治体と女性のことを一緒に書くのは適切ではない」と主張し、「おっぱいが好き」と書いたことで卑近な思想を理由に、ブログタイトル名の変更を要望してきた。

これは日弁連が主張する「市民の政治活動の自由と表現の自由」を侵害していることにはならないだろうか?侵害してきた場所が憲法が定める権力者ではないが、大分最高学府の知性であり、それによる人権意識の欠如というのは、大分にとって弊害しかないはず。その知性が“それ”であればいずれ権力にも蔓延るだろう。僕の「大分をだいぶなニュアンスで意見を述べる場を作りたい」という願いを守ってほしい。

そもそも発端は大分合同新聞サイトカワインフォ内において、新聞社が一般の女性に向けてスリーサイズを聞いていることを、大分論壇がアイロニーたっぷりに揶揄したことによって、大分大学の人権派が指摘と要望をしてきた。読んでいただければわかることだが、女子の素敵なところはもっとあるというニュアンスで書いている記事だ。

仮に女性の魅力を正当化したイデオロギーが差別的言動・女性蔑視であるとされるなら、大分論壇と大分合同新聞は同等の差別主義者となる。何も釈明することなく、ひっそりとスリーサイズとSかMの表示が消えたカワインフォだが、大分論壇が作成したこれとこれ(読み返すとほんと恥ずかしいのだが・・・)が差別的言動・女性蔑視である記事なら、新聞社としての罪は同じだろう。大分合同新聞は、スリーサイズとSかMの表示が消えたことに対して、なんらかの見解を述べなければならなくなる。

そういえば大分大学の人権派は大分論壇を「保守」と決めつけていた。ネットには保守が多く、韓国・中国・公務員のヘイトに心を痛めている大分大学の人権派であったが、“保守”とされる大分論壇がそう認定されるなら、革新である大分合同新聞も差別的言動・女性蔑視でなければフェアではない。大分大学の人権派に大分合同新聞に抗議することをおすすめしたのだが、大分論壇がその人権派に対して大分大学にいることを指摘したことから、大分の知性による人権侵害を終息させるのに一生懸命になっており良い返事は返ってこなかった。イデオロギーによって人権意識が都合よくブレて生まれる「保守への憎悪」、もしくは「保守には人権はない意志」を感じた。

ちなみに大分合同新聞がひっそりと表示を消したように、大分論壇も女性の魅力を正当化したイデオロギーは紛れもなく差別的言動・女性蔑視ではないといった認識である。よって差別の意図などさらさらない。ただ配慮を欠いたことは認める。大分論壇としても、人権が絡む問題であり、当初は大きな問題として真摯に向き合って、さまざまな方面に意見を聞いた。しかしどうみても、配慮は欠いたが差別的言動・女性蔑視に該当しているとは思えない。最終的には大分大学の人権派が表現の自由を侵害していると結論付けた。

大分県教委汚職事件をめぐる不正採用があり、その舞台のひとつとなったのが大分大学。頼んでもいない学生が勝手に加点され、それで苦しむことになった。大分大学の人権派も文面から学生ではない印象のように見受けられ、大分論壇の主張が認められれば評判を落としているのは学生ではなく大人たちとなる。最終的に希望をもって入学した学生が傷つく大学となっている。

人権に関心を持っているであろう人権派が、この出来事が起きてから1年以上経過した今まで一度も大分論壇に意見を述べていないことが何よりも人権を濫用していた事実となろう。人権にまったく関心などないのに、自身の嫌悪感を正当化させるために人権を利用して主張し、人格否定と人権侵害をしたようにしか見えない。

正真正銘の人権派である日弁連は無視しないでほしい。大分の人権侵害はカメラ設置事案だけではない。人権派の仮面を被った紛い者が率先して人権侵害を行う。運営交付金を得ている場所が発覚されないようにIPアドレスを偽装してまで人権侵害を行う大分の知性に、本物の人権派としてどう評価するのか?日弁連は一方面だけではなく多方面からみて、大分の人権侵害について口を出してほしい。

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