ヨロコビ・ムカエル?国民文化祭2018おおいた大茶会開幕

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本日、国民文化祭2018おおいた大茶会が開幕します。ひとつはっきり述べておきたいのは、参加される方々を批判するつもりはありません。思う存分楽しんでほしいと願います。

だからこそ、この記事の公開をためらいました。開会式の脚本を担当する小野正嗣先生。こじつけたような大分へのルーツで総合司会を担当される賀来千香子さん。そして昨日の大分合同新聞夕刊に掲載されていた演出・振付を担当する穴井豪さんのインタビュー記事を見て、参加される方々を思い浮かべました。

楽しみにしている人たちがいる。その人達を貶めるようなことがあってはならない。文字は無意識にそして無意味に誰かを傷つけるからこそ、ためらいました。

でも開会式のオープニングセレモニーのテーマが「ヨロコビ・ムカエル?」。異質な存在が共存する物語。だからこそ無視することはできません。僕は異質な存在として、大分大学と国に排除されたのですから。

どこかしら大分県や芥川賞作家・立教大学小野教授にすがった

ツイッターで大分合同にもOBSにも絡みました。おおいた大茶会のアカウントにも絡みました。「#おおいた大茶会」で、表現等の自由について懸念を伝えると同時にカウントダウンもしました。でも「異質な存在」として映ったのでしょう。仕方ありません。これは僕の戦略が失敗しただけです。

でもそのツイッターで、どこかしら大分県や立教大学教授である小野先生に伝わると思っていました。国はダメでも県がやってくれると。

この前フリーランスの漫画家が世田谷区職員の対応を批判したところ、区長と区議会議員まで謝罪し改善を約束したことが話題になりました。国の中にある小さなコミュニティが健全な働きを目指す。そんな首長や議員がいることは国民主権としてのモデルです。

そのようなことを僕も期待していましたが、見事に外れました。人権や憲法を国立大学や国が軽視していることの懸念に戦略が必要であることを僕は知りませんでした。それでも県や立教大学小野教授には伝わることを期待していました。

「異常な大分で国民文化祭2018おおいた大茶会は開催されるんだよ」と。

イデオロギーによって人権や憲法の基準が変わることを明確にした社会性

それは大分合同新聞が女子中高校生にもスリーサイズを聞いていることを批判したことから始まりました。

どこをどう読んだのか説明すらせずに逃げ出したので特定しないとわかりませんが、学内からの書き込みを偽装して「保守思想だから」を理由に言論封殺を行った日教組を愛でる大分大学の人権派。これを大分大学IPアドレス隠蔽事件と呼んでいます。そこから波及したのが憲法違反の懸念。

主催する文化庁は表現等の自由が誰にでもあることを明文化できない、そんな外局を持つ文科省は無視。法務省(大分地方法務局人権擁護課)は「憲法違反なら国を訴えて?」と開き直り。

大分合同新聞に憲法カフェの話題が掲載されていました。「議員や公務員が憲法を守ることを多くの国民が知らない」。

憲法学では公務員の範囲が絞られるようですが、大分大学を管轄する文科省その外局である文化庁と人権擁護課の対応は異常だと感じます。

その異常性をいつも訴えている大分合同新聞なら関心を共有してもらえると感じ、先述したようにマスメディアと主催者側にも絡みましたが、興味すら持ってもらえません。

あれほど大分合同新聞から憲法の文字がアベガーと一緒に踊るのに、大分における違憲の嫌疑についてここまで関心を持てないものか?憲法違反や人権を訴えるときは、イデオロギーの絵踏が必要。大分の人権意識の共有に高いハードルを感じました。

「ヨロコビ・ムカエル?」にいいたい

実際僕がいま自由に発言できている段階で表現等の自由は保障されています。しかしいまこのような状況であれば、いつか異質な日本が姿をみせるときが来ることを懸念しておかないといけません。これはリベラル層が常に高い感性で予感していることです。

しかしはっきりとしました。ダブルスタンダードな人権界隈の存在は独善主義として成立する。イデオロギーによって漏れた人たちには与えられない世界は、これからも変わることはない。いま顕在化しているリアルに、新しい秩序は姿をみせません。

異質な存在が共存する物語。

僕は大分大学人権派による人権侵害から、そこに存在したように思えます。至らない点がありましたが、時間が許される限り「異質な存在」である僕は訴えてきました。

ヨロコビ・ムカエル?の物語はきっと動くのでしょう。しかし実社会は何ら動かなかった。今まで人権や憲法に強い関心や懸念を持っている大分マスメディアすら動かない。危機管理が必要な自治体も動こうとしなかった。

だからこそいいたい。「ヨロコビ・ムカエラレナイ」

国民文化祭2018おおいた大茶会は「ヨロコビ・ムカエル?」ような段階ではありません。こんな状態で開催されることは、大分の人権意識をさらに後退させたと感じています。

そのなかで表現する人たちがいるのですから、それは立派な表現者となります。だからこそその方々に敬意を込めて、おおいた大茶会の成功をお祈りしています

 

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