
大分合同新聞東西南北(2026年8月5日付)で、イタコ芸に定評があるコラムニスト康氏が甲子園のジェンダー平等について執筆した。
2026年8月5日大分合同新聞東西南北コラムニスト康氏から
大分合同新聞東西南北に厳しい批評するとGoogleポリシー違反。主張する表現・思想・言論の自由を、マスメディアがこんなかたちで読者の声を萎縮させる一例。
2016年の夏、大分高校の女子マネージャーが甲子園練習でノック補助を行い、大会関係者に制止されたあの一件から10年。時代は確かに動いた。
2023年の春には城東高校の女子マネージャーが史上初の女性ノッカーとして甲子園の土を踏み、そして2026年の今年は、女性審判がジャッジを務める新時代を迎えている。
「女子は危険だから」というルールに対し、「おかしい」と声をあげた一人の女子生徒と、それに呼応した世論が伝統の扉をこじ開けた軌跡だ。
この10年のアップデートは素晴らしい前進であり、全面的に賛同する。だが、この美しい時代の変化を、大分合同新聞の康氏に上から目線で語られると、どうしても鼻について仕方がない。
甲子園の女性進出を称賛する大分合同新聞のジェンダー平等に対するおかしさ
大分合同新聞は過去、自社のイベントを喧伝するためのコーナー「Kawainfo」で、あろうことか女子中高生を含む県民女性に対して「スリーサイズ」を聞き出すという、セクハラ・性的搾取を行っていた揺るぎない事実がある。

奇しくも、この異常な企画が行われていた時期は、康氏がコラムで取り上げた大分高校の女子マネージャーの世代と見事に合致する。
グラウンドに立つことを禁じられた彼女もまた、一歩間違えれば地元紙のイベントのためにスリーサイズを聞かれ、晒され、搾取されるターゲットになっていたかもしれない「大分の女性の一人」なのだ。
自社で女子中高生を性的消費の対象として扱っておきながら、どの口で「女性のグラウンド進出」や「ジェンダー平等」を美談に仕立て上げられるのか。
これは言論を使った児童に対する卑劣なグルーミング行為だ。
その後、大分合同新聞は恥じることなく、MeToo運動に参加した。
「おかしい」と声をあげた県民を税金で弾圧する大分言論空間の闇
この大分合同新聞の異常なセクハラ企画に対し、当ブログで「おかしい」と声をあげた際、大分言論空間に異様な反応が起きた。
女子中高生にスリーサイズを聞くのはおかしい。そう真っ当な指摘をした途端、教育者からクレームが届いた。
呆れたことに、この人物は最初、大分大学教育学部のネットワークからアクセスしておきながら、いざコメントを書き込む段階になるとプロキシを使ってアメリカ西海岸のIPに偽装するという、姑息な手段を使っていた。
血税で運営される公的なネットワークを利用し、身元を隠して護憲派教育者が言論弾圧を仕掛けてきたのである。
この教育者が要求してきたのは「ネットには保守が多く、韓国・中国・公務員へのヘイトに心を痛めているので、ブログタイトル名を変更してほしい」という、今回の論点から大きく逸れたよくわからない大分左翼の限界知性そのものな内容だった。
当ブログは、このIP偽装の手口を暴き、日教組や大分合同新聞も関与していた大分県教委汚職事件について、大分大学で直接議論をしようと持ちかけた。
するとその自称教育者は「大分は言論が少ないのでこれからも続けて欲しい」と意味不明な捨て台詞を残して逃亡し、11年が経過している。
大分合同新聞の利益のため女子中高生や県民女性にスリーサイズを聞くのは「おかしい」と声をあげたら、公的機関のIPを使った謎の教育者から言論弾圧を受け、議論を求めれば逃亡される。
これが、康氏の所属するセクハラ新聞社が軸となっている「大分言論空間」の現実だ。
この護憲派教育者が税金で表現・思想・言論の自由を侵害した6月5日は、大分の表現の自由の象徴であるアルゲリッチの日になった。
こんな異常な大分の巡り合わせについても紹介しておこう。
大分合同新聞のような自分たちに都合のいい「男女差別」しか見ないメディアに明日はあるか
甲子園のルールに対して「おかしい」と声をあげる女性は称賛し、美談にする。
しかし自社が女子中高生にスリーサイズを聞くセクハラに対して「おかしい」と声があがれば、ジェンダー平等側がこぞって論点をすり替え、圧力をかけ、最後は逃亡してだんまりを決め込む。
自分たちが問題視して叩きやすいターゲットの時だけ「男女差別だ」「旧態依然だ」と声高に叫び、自らの足元で行われている女性搾取や言論弾圧には徹底して蓋をする。
大分合同新聞東西南北コラムニスト康氏よ。
他者のジェンダー平等への称賛される歩みを借用して「あの日があり、今日がある」などと悦に入る前に、女子中高生にスリーサイズを聞いていた自らの黒歴史と、大分合同新聞を軸とする異常な大分言論空間に真摯に向き合ったらどうだろうか?
大分の今日を超え明日のために、必要な大分社会の浄化だ。


