ゆめタウン別府のイズミだけを非難する大分合同新聞コラムニスト康の論理破綻な難解コラムについて

26年5月14日大分合同新聞東西南北康コラムニスト

大分合同新聞の記事を引用し批判するとGoogleからポリシー違反
大分合同新聞東西南北の誤字、反論のためにコラムをスクショで掲載すると、Googleからポリシー違反。フェイクニュースっておまえらが言うから、改ざんしていないコラムが必要じゃん。護憲派が税金で言論封殺するこの県の言論空間の異常性。

2026年5月14日付大分合同新聞の顔という東西南北に掲載された別府市の大型商業施設「ゆめタウン別府(イズミ)」の現在と20年前の市長選を振り返る内容ですが、僕はコラムニスト康氏の書きたいことがよくわかりませんでした。

そして当ブログ読者からも、「難解だ」「結局何が言いたいのかわからない」という声もいただきました。

実は、このコラムが「わかりにくい」のには明確な理由があります。それは文章が高度だからではなく、ジャーナリズムに不可欠な事実の検証を放棄し、個人的な感情と偏った視点だけで構成されているからです。

このコラムが抱える重大な論理的破綻と、筆者が陥っている心理的背景を僕なりに読み解いてみました。

霊感商法、間違えた、霊媒コラムニストことイタコ芸が得意な康氏の今回のコラムに困惑している方への解読になればと願います。

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ゆめタウン別府イズミだけを批判する誘致した行政の責任を立憲民主党で意図的に隠蔽

コラムでは、20年前の開発時に約束された歩道橋やシネコンが実現しなかったことを「全てイズミによるまき餌であり、イツワリ(嘘)であった」と断じ、運営会社だけを激しく非難しています。

ここで大分合同新聞を読まないでも社会を読み解くことができる多くの大分県民は、大きな違和感を抱いたはずです。

企業を誘致し、選挙を戦ったのは当時の別府市長です。

本来であれば、約束を履行させなかった行政の責任も問うのがメディアの役割のはず。しかし康氏は、当時の市長の責任には一切触れず、すべての罪をイズミに押し付けました。

責任の所在をはっきりと理解できている読者は「なぜ企業だけが叩かれているのか?」と、強烈な違和感を覚えるのです。

そういえば、当時の市長は現在立憲民主党大分県連の顧問

こんなところで康氏の政治思想とリンクしています。今回康氏が書いた難解な大分合同新聞東西南北を紐解く事実として、提示しておきましょう。

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20年間の経済的文脈を無視した傲慢な分析

現在、ゆめタウン別府が家族連れや訪日客で賑わっている事実に対し、筆者は「円安特需による過熱」と一面的な見方で単純化しました。

これも非常に甘く、かつ現場への敬意を欠いた稚拙な分析です。

この20年間、日本は決して順風満帆ではありません。特に当時の市長と親和性が高い旧民主党政権時代の記録的な円高によるインバウンドの消失や、度重なる不況、コロナ禍、そして円安など、観光都市・別府は幾多の危機に見舞われました。

その激動の時代を乗り越え、撤退せずに街の雇用と賑わいを維持し続けているのは、まぎれもないゆめタウン別府の企業努力です。

その20年の経済的文脈や現場の努力を完全に無視し、目の前の成功を「円安特需」と矮小化する姿勢は、自らの「開発=悪」という結論に固執するあまり、現実が見えなくなっている証拠と言えます。

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客観的データを捨て歴史に逃げるイタコ芸が得意な大分合同新聞東西南北コラムニスト康氏

コラムの終盤、コラムニスト康氏は「歴史が功罪のジャッジを下すだろう」と結んでいます。

これは、事実に基づいた論理的な説明ができないコラムニストがよく使う逃げ口上であり、論理的な思考を捨てたコラムニストが良く使う常套句です。

亡くなられた方を勝手に代弁するイタコ芸が問題視され、最近では辺野古事故で亡くなった女子高生の政治利用で沖縄タイムスは謝罪に追い込まれました。そんなイタコ芸を飽きることなく毎回繰り返す康氏は、今回は「歴史」を降霊させました。

現在の数字や実績では開発の成功を否定できないため、歴史という極めて哲学的で反論不可能な概念を持ち出し、無理やり自分や読者を納得させる構成に走ったことが「難解さ」を生んだのです。

最近とても康氏のイタコ芸が多く、直近では村山富市さんを再び降臨させました(とんちゃんを侮辱する内容なので、記事にします)。

霊感商法を専門にする宗教法人になったのかと思うくらい、大分合同新聞のイタコ芸が最近は多いです。

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なぜ大分合同新聞は客観的な事実や良識や社会基準から目を背けるのか?

今までの自分たちが用いてきた事実や良識や社会的基準から、大きく逸れたコラムを今回書いた大分合同新聞東西南北コラムニスト康氏。

なぜ権威であったはずのコラムニストが、客観的視点を歪めてまで特定の企業を叩き、私怨のパッションポエムに走るのか?

その背景には、ネット社会によって「反論されない特権」を奪われた喪失感があると考えられます。誰もが情報を検証し、論理の破綻を直接指摘できる現代において、自らの絶対的な権威が崩壊した現実を受け入れることができない。

目の前の別府という事実を突きつけられているのに、過去のプライドにすがり、非を認められずに感情的に防衛する。だからこそこんな「今までの客観的視点から大きく逸れたよくわからん」コラムになっているのだと、僕は感じました。

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ジャーナリズムではなく身内向けの感情的メッセージ

このコラムが難解なのは、事実を伝えるためではなく、「特定の読者層(反開発・反自民層)」に向けて、論理をすっ飛ばして感情的なサインを送るためだけに書かれてもいます。

「大分合同新聞を読んでほしい」と指導をしている僕の高校生の姪も背景を伝えた上でこのコラムを読んで「何が言いたいのかまったく意味がわからん」と首を傾げていました。

大分合同新聞は学校現場にも配布されています。だからこそ、次世代を担う中学生や高校生が読んでも、社会の出来事や論理がきちんと伝わるコラムを書く努力をするべきではないでしょうか?

それができないのであれば、「反自民の宗教家だから論理よりもパッションなんだよ。イタコ芸ができないバカにはわからんかな?」と、はっきり書けばいいだけです。

伝説の君が代コラムを書いた安氏のように、安っぽいコラムは書かなくていい。

大分合同新聞東西南北コラムニスト安氏は君が代が大嫌いってことだけがわかった訂正と異常なゴールポストの移動
「世界史の教科書に日本史がないから日本のルーツは謎」レベルの暴論。大分合同新聞東西南北コラムニスト安氏の君が代コラム再びが披露した、マヌケな自己論破と生粋の国粋主義学者を使った権威の腹話術。

充実した生きやすい社会や生活よりも、「反自民であることが大切。それに反対なら死んで欲しい」と最後に結べばいいんです。政治的に殉教した「私に反対なら銃を持って戦争に行って欲しい」のあなたたちの同胞・吉良州司氏も報われるでしょう。

必要な事実を意図的に隠し、企業への恨み言と私怨のパッションポエムで終始する文章は、もはやコラムの体を成していません。説明が足りないなら、朝日新聞の天声人語を見習い、せめて文字数を増やしてでも事実と論理を尽くすべきです。

「歴史が功罪のジャッジを下す」などという大仰なイタコ芸に逃げる前に、まずは現実の地面に立って、かつて誘致に反対していたが政治的決着(ここにすら触れない今回のコラムは本当に異質で異常)に落とし込んだ長野別府市長が、今ゆめタウンの食品売り場でどんな惣菜を買っているか?を取材するくらいから始めるのがちょうどいい。

そんな大分合同新聞東西南北です。

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大分合同新聞のみなさんへ

ひとつ不思議なんですが、同僚や記者たちはこんな新聞社の顔と自負する東西南北のいまの現状を見て何とも感じないのでしょうか?

最近の東西南北は酷すぎじゃありませんか?

あなたたち風に言えば、「高市首相の周りはなにも言えないの?」です。

霊媒師コラムニスト康氏だから僕らにはわからない感性がある。大切なことは目に見えないのが、大分合同新聞のイタコ芸

だからこんな異質で異常な難解コラムになったのでしょう。

ゆめタウン別府の功罪特集記事がこれから組まれて、その呼び水としてのコラムであった。ただそれを書き忘れていた霊媒師のコラムニスト康氏。

女子高生の命が失われた辺野古反対派との親和性が極めて高い新聞労連から表彰された「なぜ194キロ事故の被告人は出廷しないの?」の遺族の疑問に答えることができない一人勝ちな羽山草平記者の特集から不誠実なご都合主義と命を選別する思想が透けて見えていますので、そろそろ新しい企画をお願いします。

ジャーナリストって、大分合同新聞にいますか?