2020年1月12日成人式の日に起きた、大分市中学生特急列車自殺からもう1年です。
赤色灯を乗せた車と幾度もすれ違う。動かない電車。少し離れた学校区から聞こえてきた夕方5時前のドヴォルザーク新世界より第2楽章。
このような記憶から、どうしてもこの事故が忘れられないのです。
あれから1年、大分市は何か変わりましたか?
大分市中学生特急列車自殺から1年 なにが変わったのだろう
現場を通ることがありますが、今でも祈りは続いています。大分市の中学生を忘れない市民が、この事故と向き合っています。
だからこそ、それからのいまをみつめるべきでしょう。
大分市中学生特急列車自殺から1年、大分市はなにが変わったのでしょうか?
生きづらさを訴える界隈は自身の子どもたちに向けた過ちを絶対に認めない
「生きにくい世の中」に言及しているからこそ、大分合同新聞に問い掛けます。
女子中高校生にスリーサイズを聞いた性的搾取の過去を反省できずMeToo運動。過ちを認めないと政治家に対して熱り立つが、自身は子どもたちに対する過ちを絶対に認めない。
生きづらさに関心を持つ、そして子どものことを思う記者もいますが、どうやらコラムだけで行動には移せない。「異論を排除するな」と言いますが、最も排他的な新聞社の可能性も。
教材に使われている大分合同新聞のコラム・東西南北。先生とコラムに対し反論した中学生は「ネトウヨになるよ」と担当教諭から嘲笑され、内申書を持ち出して異論を封じ込まれた声も届いています。
子どもたちを取り巻く「生きにくい世の中」に加担しているのは、新聞社と学校じゃないですか?
どんなに問い掛けても無視する「報道しない自由」で圧倒的セーフティでいられる新聞社から「生きづらさ」を問われている大分は異常です。
教育行政で起きたいじめ隠蔽工作
大分市の教育行政はどうでしょうか?
大分市教委はいじめで自殺未遂を繰り返した生徒の事実を隠蔽しようとしました。親御さんが子どもを守ろうとする当然の権利を行使して、ようやく問題が発覚したわけです。
ここまでの熱量がなければ、発覚しなかったいじめ隠蔽事件となります。
佐藤大分市長の真摯な向き合い方がなければ、有耶無耶にされていたかもしれない事件。本来子どもたちを守る側が、自身を守ろうと必死な大分市教委。
子どもたちの生きづらさの声が届く場所は、大分マスメディア同様、教育行政にも存在していない異常性を把握できます。
税金で基本的人権の根幹を侵害する護憲派教育者の存在
教育者を名乗る人物が、政治イデオロギーの差異だけで税金を使って言論封殺を仕掛けてくる。教育者である護憲派が憲法で保障されている基本的人権の根幹を、税金で侵害する。
しかも大分大学教育学部のIPアドレスを隠蔽して。
総務省行政監視行政相談センターの介入でも、大分大学は「初めて知りました」だけで調査もしませんでした。
大分の教育を支える教員を養成する場で、これが平然と起きてしまうのが大分県です。
今年で6年経過することになりますが、こんな教育者がなぜ問題にならないのかがまったく理解できません。
生きづらさを抱える子どもの声すら上げさせない環境構築に、教育者が加担している異常な大分。
こんな人達が「子どもを守る」と、よく主張するのです。
あれから1年 偽善と欺瞞だけが残り何も変わらない大分市
大分市中学生特急列車自殺から1年経過しましたが、偽善と欺瞞しか確認できない異常な大分市になっています。
隣の学校区で流れていたドヴォルザーク新世界より第2楽章。その歌曲名をみなさんはご存知でしょうか?
「Goin’ Home」、家路です。本来の場所に帰ることなく自ら命を絶った中学生。
あれから1年。それからのいまを見つめると、ため息しか出ない大分市。
絶望的なのが「生きづらさ」に向き合おうとする側が「自分たちだけが生きやすい大分」にしか関心がない現実です。
これがいまの大分です。
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