基本的人権の根幹である表現・思想・言論の自由を護憲派教育者が税金で侵害できる大分。
人権意識だけではなく、文化芸術水準が極めて低いそんな我が県において、文化芸術に大きな貢献をしているのがマルタ・アルゲリッチ総裁。
今世紀最高のピアニストと評価されると同時に、大分の表現の母でもあります。
そんなアルゲリッチさんに迫るドキュメンタリー「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」がAmazonのサマーセールにて100円で8月30日まで鑑賞が可能です。
アルゲリッチ 私こそ、音楽!をAmazonなら100円で鑑賞可能
今年のAmazonサマーセールのラインナップがすごい。
個人的にまた見たかった「アイ・ウェイウェイは謝らない」も鑑賞予定ですが、これを観ないと大分愛を語れないと感じたのが「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」。
娘さんが監督として追う今世紀最高のピアニストの姿に触れることができます。
お茶目であり駄々っ子であり普通の母のアルゲリッチさん
マスメディアが嫌いだけどファンには優しい。だから気難しい。
そんなイメージを持っている県民もいるでしょうが、「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」に出てくる大分の文化芸術の母は、お茶目であり、駄々っ子であり普通の母でした。
オーケストラのリハーサルの最中にバックからバナナを取り出し外で食べる。その皮の処理に困った大分の母は、灰皿の上に置き去る。いたずらをする少女のようなお茶目な仕草がとてもキュートです。
3回の離婚と3人の娘。
娘の出産に立ち会った際は「女の子のほうが面白い」といい、男の子が生まれる。ピアニストの評価としては最高値ですが、私生活は思うように行かない象徴的なシーンのようで印象に残りました。
娘さんが撮影することで、母としてひとりの人間としての素顔を見せていく。僕らが刷り込まれたアルゲリッチさんの印象が確かに離れていく。
今世紀最高のピアニストの評価は揺るぎませんが、多くの人と同じように過去を抱えた普通の心優しい母が撮影されています。
大分や別府で過ごすアルゲリッチさんの素顔は駄々っ子
お世辞を言われるのが嫌いと言う大分の表現の母であるアルゲリッチママ。だから濁さず言いましょう。
大分の文化芸術のママは駄々っ子だ。
「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」には、大分や別府、すなわちアルゲリッチ音楽祭で撮影されたシーンもあります。ビーコンプラザ前や別府の信号機でお馴染みの「通りゃんせ」も流れます。
大分・別府で見せた駄々っ子が愛らしかった。
控室でナーバスな一面をみせ、帯同するスタッフに難癖をつけたりも。音楽祭のプロデューサーである伊藤京子さんに体調が悪いことを伝え、背中を擦られるママ。
でも観客の前に出てきたら、今までの素振りを一切見せずいつもの僕ら大分県民が知っているアルゲリッチさんが登場するのです。
このシーンがとても好きなので触れていただきたい。
来年のアルゲリッチ音楽祭開催に備えて
残念ながら今年の開催は「延期」というかたちになり、テーマは来年に引き継ぐことが発表されているアルゲリッチ音楽祭。
開催までのハードルはまだまだ越えなければなりませんが、文化芸術そして表現の自由における大分の母の素顔を格安で触れられるチャンスが8月30日まであることを大分県民と共有しておきたいです。
ドキュメンタリーの鑑賞も良いですが、アルゲリッチさんの伝記「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」もおすすめです。
大分大学のIP偽装をし税金を使ってクレームが来そうな大分の表現の自由の母にまつわる「とある喪失」について、赤裸々に書かれていたような気もします。
たしか大分県立図書館や大分市立図書館にもあったはず。
税金で表現の自由を侵害してくる文化芸術の水準が極めて低い教育者に気をつけながら、こちらの本を読むとさらに大分の母アルゲリッチさんの素顔に迫れるはず。
文化芸術の水準を落としている教育者の存在は、僕ら大分県民はアルゲリッチ音楽祭からまだ何も学んでいないような気もしてきます。
だからいつまでも母と過ごせる日々を大分で願い、母と同じ空気を吸える大分をこれからも待ち望みます。
大分大学のIP偽装をして税金で表現・思想・言論の自由を侵害できる大分県。これらの自由は基本的人権の根幹です。
これを行ったのが、護憲派であり人権に強い関心を持つ特定野党立憲民主党支持者であり教育者です。
大分県教委汚職事件の議論を持ちかけると、恣意的な人権侵害の指摘を捨てて逃げ出した人物。人権は相手を黙らせるために使われており、人権の存在意義を失いつつあります。
だからこそ、大分における表現・思想・言論の自由を強く求めていきます。
護憲派なのに税金で間接的な憲法違反に加担できる知性すら感じないあなたたちが認めたものだけを、表現・思想・言論の自由にしないでいただきたい。
コメント