2026年終戦記念日大分合同新聞東西南北の反戦平和が気持ち悪い

2026年8月15日の終戦記念日に掲載された大分合同新聞東西南北。

2026年8月15日大分合同新聞東西南北イタコ芸が得意なコラムニスト康氏から

大分合同新聞東西南北に厳しい批評するとGoogleポリシー違反。主張する表現・思想・言論の自由を、マスメディアがこんなかたちで読者の声を萎縮させる一例。

終戦記念日のこの日、石垣りんの詩を引用して「雪崩がおこる」「野心や欲望が隠れる」と情緒的な言葉を並べるばかり。読者の不安を煽るだけの、薄っぺらなポエム論法に終始していた。

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2026年大分合同新聞東西南北の終戦記念日はヤジを正当化する論点ずらし

筆者の康氏はコラム内で、沖縄での追悼式で首相に浴びせられたヤジについて触れている。

「戦争反対」と叫ぶ声に対し、高市首相が「いま日本は戦争をしていない」「非核三原則を今後も堅持する」と真っ当な事実を返したことを、「論点がかみ合わない」と批判した。

しかしそもそもあのヤジは平和への祈りなどではない。特定の政治思想に基づく、単なる反政権の罵声だった。

「日本は戦争に向かっているはずだ」という自らの脳内シナリオを無理やり押し付け、事実を突きつけられて「かみ合わない」としているのは、他ならぬ康氏の方ではないか?

吉良発言「戦争に行って欲しい」を未だに黙認する大分合同新聞東西南北の異常性

康氏は田中角栄の言葉を引き合いに出し、「戦争を知らない世代が中核になった時が怖い」と政府を批判するが、どうかしている。

大分1区選出吉良州司元議員(政界引退済み)が、過去に自身のスタンスと異なる意見を持つ日本国民に対し、「戦争に行って欲しい」と発言した。

吉良州司さんは戦争に行かせる国会議員

天邪鬼な性格と前置きし、エリート層から多くの賛同が寄せられる(自称)民主主義国家に生まれた怪奇な議員・有志の会代表大分一区の吉良州司さんを知る努力。

この異常な暴言に対し、当ブログが徹底的な追及をした際、吉良氏本人も事務所も、さらには選挙を共にした野党議員たちも、皆が一様に口をつぐんで逃げ回った事実がある。

県内の自称・護憲派や大分合同新聞はどうしたか。その無責任な逃亡劇を非難するどころか、事実上黙認し続けてきたではないか?

野党国会議員の言論に反対した日本国民に対して「戦争に行って欲しい」というリアルな暴言には口をつぐむ。その一方で、政府には詩を引用して「戦争を始める政権」とレッテルを貼る。

こんなダブルスタンダードな連中が語る反戦平和に、一体何の価値があるのだろうか。

大分合同新聞東西南北はかつてこう書いた。

「黙認は容認である」と。

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主語をデカくする大分合同新聞東西南北康氏のイタコ芸再び

コラムの最後は、引用した詩の「私にはきこえる」という一節を受け、「われわれにも聞こえる」と、相変わらず飽きることなく主語を大きくし、いつものイタコ芸で締めくくられている。

聞こえているのはあなた方の脳内に響く「都合の良い妄想」だけだろう。勝手に大分県民を「われわれ」という主語に巻き込まないでもらいたい。

そもそも、この筆者・康氏は、先日高市首相への憎悪と反高市派の願望だけをベースにした「フィクション」という名の異常な妄想コラムを書き飛ばした人物だ。

令和8年熊本地震を高市憎悪創作のオモチャにする「触れてはいけない人」になっている大分合同新聞東西南北の狂気
大分合同新聞東西南北が令和8年熊本地震を小道具に高市首相を創作で批判。SNSのアルゴリズムに毒され、自社の顔の看板を下ろしたコラムの狂気と新聞の限界。

事実よりもイデオロギーを優先し、ポエムと妄想で世論を誘導したヘイトスピーチを、新聞社の顔である東西南北に書いたのだ。こんなコラムニストに、いまだに看板枠を任せ続けている大分合同新聞の編集体制こそが「新しい戦前」である。

大分合同新聞の深刻な人材不足が露呈している。「差別のない本屋に通いたい」ではないが、「ヘイトスピーチがない新聞が読みたい」のだ。そんなに難しいことを、大分合同新聞に要求していない。

「戦争を知らない世代が中核になる危機」とは政府のことではない。

反自民というイデオロギーで集結した身内の「戦争に行って欲しい」には徹底して甘く、特定の思想と私怨のために反戦平和を弄ぶ新聞社。 その存在「大分合同新聞」そのものが、大分にとっての最大の危機なのだ。

雪崩をおこすのは、大分合同新聞東西南北という存在である。

2026年8月15日終戦記念日の大分護国神社

2026年8月15日朝の大分護国神社から