
2026年8月7日付の大分合同新聞東西南北。イタコ芸に定評がある康氏によるこのコラムを読んだ時、怒りや呆れを通り越し、得体の知れない恐怖と哀れみを覚えた。
2026年8月7日大分合同新聞東西南北コラムニスト康氏から
大分合同新聞東西南北に厳しい批評するとGoogleポリシー違反。主張する表現・思想・言論の自由を、マスメディアがこんなかたちで読者の声を萎縮させる一例。
高市首相の災害対応やSNSでの発信を揶揄するためだけに、令和8年熊本地震で被災したモールや避難所という現実の痛みを創作の小道具として使い、最後は高市首相の「寝ていないアピール」を皮肉って「以上、小欄のフィクションである」と締める。
まともな政策批判を放棄し、一国の首相のSNSの揚げ足取りに終始するその姿は、もはやジャーナリズムではなく反高市派のXユーザーか、爆笑問題太田さんの芸だ。
いや太田さんに失礼だ。太田さんは絶対に一線を越えない。人の痛みがわかる芸人だから、熊本地震を高市首相揶揄に利用することは絶対にない。
大分合同新聞東西南北の執筆者である康氏が、もはや「触れてはいけない人」に見えてしまった。大分合同新聞の看板コラムは、ついに一線を越えてしまったのだ。
熊本への思いは嘘だったのか?高市憎悪のために令和8年熊本地震を創作の小道具に変異させる
10年前の熊本・大分地震の記憶があり、今年の熊本地震の被害に心を寄せたいのが大分県民だ。連動するように同じ激しい揺れと続く余震を10年前に体感しているからこそ、その痛みはわかるはずだ。
令和8年熊本地震からこの1週間、康氏もコラムを通じて被災地・熊本に心を寄せていた。その内容には反論したいことも山ほどあったが、寄り添う姿勢は大分県民として同じだ。
しかしその「被災地への想い」が、たった数日でここまで醜悪に変異した。被災したモールや避難所の惨状といった現実を、あろうことか高市首相を貶める高市憎悪のためだけに単なる「コントの舞台装置」に仕上げたのである。
被災者の痛みを、SNSの誹謗中傷レベルの政治批判のダシに使う。これが大分合同新聞の誇るジャーナリズムであり、「新聞ならではの独自の視点」だというのなら、ただただ残念だ。
これはコラムではない。新聞社から行われた異常な誹謗中傷である。
一日中Xに張り付いているようなアルゴリズムに毒された大分合同新聞東西南北執筆者の康氏
このコラムを読んで強烈に感じたのは、康氏がどっぷりと浸かっている異常なネット空間の空気だ。
コラムの全体に漂っているのは、X(旧Twitter)に生息する反高市派アカウントが日々垂れ流している事実を歪曲した「こうであってほしい」「こうに違いない」という醜悪な願望そのものである。
「アイロン掛け」の揶揄などは、まさにXの政治界隈に1日中張り付いていなければ出てこない発想だ。
SNSのアルゴリズムに完全に毒され、自分に心地よいタイムラインの偏った妄想を世論だと錯覚している。それでいて、普段は「多様な意見を尊重せよ」などともっともらしい主張をするのだから、その偽善ぶりには吐き気がする。
自らを社会の公器と標榜する新聞の一面という場を、自身の裏アカウントのように私物化しているのが、大分合同新聞東西南北の執筆者・康氏なのだ。
若手や新卒記者はこのコラムをどう読んだのか?
新聞社はよく「子どもに新聞を読ませよう」と喧伝するが、果たしてこの8月7日の東西南北を、胸を張って子どもに読ませることができるのだろうか?
「気に入らない政治家を叩くためなら、災害の悲劇を利用して茶化していい」 「妄想と創作で相手を貶め、最後はフィクションだと言って逃げればいい」
そんな教えを、新聞を使って大分の子どもたちに説くつもりか。
何よりも驚愕し絶望しているのは、この異常なX色の強い妄想願望コラムが、社内の誰の反対にも遭わずに一面に掲載されてしまったという事実だ。
編集会議はどうなっているのか。
誰も「いくらなんでもこれは新聞のコラムとして一線を越えている」「災害をダシにするのは非倫理的だ」と止める人間はいなかったのか?
大分合同新聞には、大分社会を少しでも良くしたい、真摯に報道に向き合いたいと志して入社した若手記者や中堅、そして今年の新卒社員もいるはずだ。
彼ら、彼女らと膝を突き合わせて尋ねてみたい。
「自社の顔である看板コラムが、政策批判すら捨ててSNSの揚げ足取りと妄想に成り下がっているこの惨状を、あなたたちはどう感じているのか?」と。
自浄作用を失い、特定のイデオロギーとSNSのアルゴリズムに憑りつかれた新聞社。今回の東西南北は、大分合同新聞という組織そのものが限界を迎えていることを、自ら証明してしまった。
大分合同新聞東西南北から「自社の顔」という文言が消えていた
この記事を書くにあたり、改めて大分合同新聞東西南北のWebページを確認してみた。
最終確認として2023年2月3日まではそこに掲げられていた「自社の顔」という彼らの誇り高き自負は、いつの間にか丸ごと削り取られていた。

