ドラッグストアにマスクが数個あり、僕は手に入れました。すると後ろから娘さんとママがやってきて「もう売り切れている」と言います。
娘さんはマスクをし、ママはしていません。ちなみに僕はしています。「残念でしたね」と心の中で痛みながらレジに向かおうとしたのですが、切実な目でママは僕が手にするマスクをみます。
マザコンである僕は譲ることにしました。
妻ちゃんは「いいことしたね」と子どものように褒めてくれ、その後の濃厚接触。今日はその話でもしようかと思いましたが、大分合同新聞の拙い危機管理の意識を思い出したので変更しましょう。
「受験生であること・3件目だったこと」を、聞いてもいないのに伝えてくることから欲しかったことがわかります。
娘さんのかわいい「ありがとうございます」に癒やされながら、「がんばってください」と伝えた女の子に弱い偽善者の僕は思うのですよ。
覚えたての性愛ドイツ語を男子中学生が話すように大分合同新聞があれだけ「危機管理」を問うので、大分市の武漢マスク寄贈について。
大分市が武漢にマスク寄贈をしたのは危機管理として失敗
大分市では1月27日に「武漢加油」のメッセージ付きで武漢にマスクを寄贈しています。以降、皮肉にも他の自治体が追従して大分市のパフォーマンスに倣っているのですから、責任は重いです。
この時期からドラッグストアでマスクが品薄状態になっているのを確認しています。これは市役所職員も知っていたはずです。
ここに違和感が生じなかったのか?
3月1日WHOの発表では、症状がない人以外がマスクを付けることに対して供給を遅らせる原因になるとし自粛を求めましたが、受験生にとってみれば「お守り」のようなもの。
臨時休校になることで子どものストレスが増す論調が多くなっている日本。
「マスクがないことで受験生のストレスが増強するのは甘え」だと、マスク受験世代である僕らはそう彼女らや彼らに伝えることができますか?
結果論で片付けられない大分市の危機管理の失敗です。
中学生の生徒会が義援金を贈るのと訳が違う
異常事態となっている友好都市武漢の事情を憂えている気持ちは十分理解しますが、短期的観測として予見できたであろう事態。いや予測しておかないといけなかったのです。
備蓄して高校受験を控える大分市の中学生に配布するなどの計画があっても良かったのでは、と感じます。中学生の自殺を立て続けに許し、市教委はいじめの隠蔽まで行っている大分市。
中学生に試練を与えすぎです。
大分市の中学校の生徒会が中国に義援金を贈っていましたが、そのような微笑ましいレベルを自治体がやっちゃいけないんです。
大分市役所は自己犠牲を崇高する中学生ではないのですから。まず市民を守ること。これが今回の件から学ぶべきパフォーマンスです。
連日尖閣に武装漁船の確認がされていることを忘れてはいけません。行政が政治力学を計算できないことも、危機管理として失敗しています。佐藤大分市長の市政でこれが起きていることに、心底がっかりしています。
危機管理として大分合同新聞が大分市に追及する姿勢を見たい
そもそも行政が自然災害に対して備蓄を呼びかけているのに、感染症危機の状況下において限られた医療資源を外部に提供することがわからない。
危機管理としての意識を捨て、パフォーマンスで自己満足に耽け、それに倣った自治体を作ったことが大分市の大きな罪です。
恋ダンスじゃないんですよ。
大分の人権パフォーマンスは、中身もないし、市民も守れないし、子どもも守れないし、人権すら一定の人間にしか存在しない。どこで笑えばいいのかわかりません。
大分市議会議員、そしてJR九州の件で行政を忖度し続けた権力の監視機関・大分合同新聞は、落ち着いた頃に追及をしていただきたい。
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