大分合同新聞創刊130周年記念事業の講演会が27日にあった。超有名人ジャーナリストの池上彰さんが地方紙の役割について語り、民主主義を支え庶民目線が大切であると説いたようだ。またインターネットは裏付けがなく比較的正確な情報を得られると、大分合同新聞を気持ちよくさせる講演をした。
果たして大分合同新聞の130年は「民主主義を支え庶民目線が大切」に沿っていたのだろうか?超有名人の池上彰さんにお墨付きをもらって気持ちよくなった大分合同新聞には悪いが、僕はまったくそうは思わない。
努力しても報われない大分があった時期を忘れてはならない。大分県教委汚職事件をめぐる教員不正採用に関与していた新聞社である。しかしまったく真相究明の機運が高まらない。大分マスメディア、特に自省のために積極的に先導しなければならない大分合同新聞が消極的だ。それなのに「子供たちに未来を切り開くためにどうすれば良いのか?大人たちが教えなければならない」などと、口利きで親族の未来を切り開いた幹部もいた新聞社が平然と発言できるのだ。今話題の人に厳しく自分に甘い「蓮舫感覚」である。
確かにネットで流れる個人の見解を含めた情報よりは正確であり、この点は大分合同新聞の素晴らしい点である。しかし公正と嘯きながら個人の見解を含んだコラムが連発しているのは何だろうか?イデオロギーを封じろとは言わない。ただ過程を無視した政権批判など何の役に立つのだろうか?イデオロギーによって政局の評価を適切に判断しない報道が、民主主義にどんな働き方をしてどんな結果を得るのだろうか?民主主義の理想像すら考えることを放棄した新聞社である。
もちろん池上さんの「民主主義を支え庶民目線が大切」は、「これからの大分合同新聞」を語っている可能性があるが、大分合同新聞にそれが理解できているとは思えない。大分最高学府が気に入らない保守の人物を見つければ、自分の裁量によって差別認定し人格否定と表現の自由を平然と奪う。それをIPアドレスを隠蔽してまで、知性が行うような土地柄だ。イデオロギーによって判断がぶれる大分を野放しにし、自ら醜悪な大分を演出して、自浄作用も働かない大分合同新聞に、民主主義を支え庶民目線の感覚はない。
池上彰さんのわかりやすい解説を提供するスタンスは賛同するが、大分のことを何も知らないのに適当なことをこの新聞社に言わないでほしい。「民主主義を支え庶民目線が大切」なんて言われれば、気持ちよくなって自分たちの都合の良い正義を振りかざすだけである。「利己主義を支え、公平公正感覚がおかしい大分エスタブリッシュメントの視線をいつも気にする新聞社」が大分合同新聞である。
マスメディアを気持ちよくさせるのがジャーナリストの仕事になっている。僕にはそれがまったく理解ができない。大分の民主主義の衰退を後押しするのはやめていただきたい。正義すら追求できない利己主義の新聞社を気持ちよくさせて、大分の民主主義が成熟するとは到底思えないのだ。
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