日田彦山線事実上の廃線を公共で批判する夕刊廃止の大分合同新聞

権力の監視機関という公共性がある大分合同新聞が夕刊を廃止するがJR九州をカネで批判する

12日大分合同新聞夕刊自転公転から

大分合同新聞の記事を引用し批判するとGoogleからポリシー違反
大分合同新聞の記事を引用し批判するとGoogleからポリシー違反
大分合同新聞東西南北の誤字、反論のためにコラムをスクショで掲載すると、Googleからポリシー違反。フェイクニュースっておまえらが言うから、改ざんしていないコラムが必要じゃん。護憲派が税金で言論封殺するこの県の言論空間の異常性。

権力の監視機関であり、NIE「教育に新聞を」であり、国民主権として新聞の役割を強く説く大分合同新聞は夕刊を廃止することを発表しました。

JR九州を公共性で批判する神経に迫りましょう。

権力の監視機関に公共の責務はないようだ

自分ができないことを相手に求める行為を「知性がない」といいます。

先述したように、大分合同新聞には公共の責務があります。それなのに夕刊の廃止が決まりました。理由は人件費、部数減少、新聞媒介からネットへ。

つまり「カネにならないから」。

公共性の価値が自身にあることを自ら喧伝をしているのに、JR九州には厳しい。しかも高齢者を持ち出して地域住民に不安を与える華麗なる印象操作も厭わない。

この言動に何と名前をつけましょうか?

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夕刊廃止を大分合同新聞が撤回しJR九州を批判したら格好いい

大分合同新聞の有能な記者たちを紹介しましょう。

  • 待機児童全国8位から7位の大分市には喫緊の課題がないとし、市議会選の突入を許した
  • 女子中高校生にスリーサイズを聞いていたのに#MeTooに勤しむ(新聞労連は無視)
  • 事実関係を無視して、ワイドショーから仕入れたネタでコラムを書く
  • 朝刊論説は共同通信社の依存度が高い

大分合同新聞が有能な記者の人件費を削り、夕刊廃止を撤回すれば、公共性の名のもとJR九州を批判できる権利を得られます。

JR九州に対し、知性を持って批判できる条件も同時に整います。

自治体を忖度し続けた権力の監視機関大分合同新聞

JR九州は代替案としてバスの運行を提示しています。頑なにJR九州からの支援の呼びかけを拒否し続けた広瀬知事ですが、それに折れるかたちとなりました。

日田の高校生が地域活性化を訴えていた時、主体性を理解していることは日田における誇りだと感じます。その主体性の舵取りをする自治体が、JR九州からの呼びかけを拒否し続けた。

自治体もそうですし、議会も機能していない証左です。

少子高齢化時代。いうまでもありませんが、少子化対策はJR九州の役割ではありません。その責任まで押し付けようとしたのが自治体です。

杵築が緊縮財政に走っています。県内どの自治体も余力がないことがJR九州への支援拒否の表れでしょうが、公務員のボーナスは上がり続けています。

もちろん仕事ができる公務員の報酬に異論はありませんが、余力はまだ県に残されている財源となる。しかし県民を守る第一の公共性の責務を持つ自治体は、JR九州の要望である路線復旧支援を断り続けました。

協力を強いられた県民もいる国民文化祭(明確な憲法違反の祭典)やラグビーW杯。経済効果の還元が県民の目に映りにくい事業ですが、それをみせる機会が今回県にはあった。しかしそれすら拒否し、JR九州に責任を押し付けたのが広瀬知事です。

じゃらん満足度が高い旅行先で大分県日本一の理由が憲法違反の祭典
【大分県内ニュース】じゃらん「満足度が高い旅行先」 大分県が全国1位 沖縄県の15連覇阻む #oita #大分 — 大分合同新聞 (@oitagodo) August 7, 2019異論は認めません。大分県は素晴らしい地です。じゃらんで満足...

だから大分合同新聞に問いたい。

ジャーナリズムとしてできることはなかったかい?

自治体の責任を追及しなかったことが廃止への方向性を許すことになった。この可能性について、大分合同新聞がどれだけ理解をしているのか?

利潤のために夕刊廃止を決定した公共性の責務を持つ大分合同新聞が、公共性の責任をJR九州に押し付ける。権力の監視機関として自治体批判ができない。だから首長も調子に乗って建設的な勘案すらせず、JR九州批判を繰り返す。

見事なまでに衰退の一途を辿った大分県です。これを復旧協議開始から2年ほどジャーナリズムと自治体の”機能不全連合”が飽きることなく、疑うことなく、協議していたのが日田彦山線復旧問題。

JR九州を庇うつもりはありませんが、県とそれを監視する大分合同新聞の酷さが露見された問題でもあります。

次は無人駅問題となり、障害者や高齢者への負担がさらに強いられることになります。少子化からくるダイヤ改正も忘れてはいけません。

次は本気になってくれることを願います。

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