大分論壇はこの街を想うあなたの恋敵です

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最近「大分論壇は何者?」と聞かれることが多い。だからメアドを記入している人には「あなたの大好きな大分の恋敵ですよ」と答えるようにしている。すると大抵の人は怒るのだ。「バカや死ね」と言った罵詈雑言や、「面白くない」といった金属バットが返ってくることが多い。

メール等のプライベートメッセージになると、どんなにイデオロギーの違いがあるとしても、落ち着いて会話できる点に僕はメリットを見出しているのだが、どうも大分ではそううまく行かないことが圧倒的に多い。ただそのなかでも「クスッ」と笑ってくれる人も中には居り、イデオロギーの差異があっても「なるほどな」といった交流ができることも、ほんのわずかであるがここ数年大分でも増えている。

それができる人というのは、やはり本当の恋敵なのだろう。僕が大嫌いな民進党であったとしても、少なくても吉良先生は大分や日本のことを考えている。大分県幹部の確証がない公私混同を批判したのに、その人物が貢献したと思われる林業の発展について、“大分林業愛”などと随分とブレられて自分たちがしたことを覚えていない酷すぎるジャーナリズムの大分合同新聞であったとしても、大分のことが好きなはず。

ただ僕の方がもっと大分を素晴らしいと思えるし、嫌なところも受け入れて変えたいと感じる。それがあるからこそ批判をしているだけだ。僕は一度もイデオロギーの差異に対して、罵詈雑言を行ったこともないし、できる限り意見を汲んで行っている。

政治的イデオロギーである右翼や左翼、保守や革新といった思想で批判したことは一度もない。そんな思想の偏りで批判しても意味がないからだ。正しい思想を追い求めたいだけである。それなのに、なぜ保守思想に傾倒しているだけで、人格否定という人間性を失って意味もなく叩く人たちが大分に多いのかが、本当にわからない。決まってそういう人たちは「保守のヘイト」などと口を揃えるのだが、“鏡の見方”を知らない人たちからの批判が大分では多い。同じことをしていることに、まったく気付けず人権派ぶるのだ。

人権を利用して保守に言論封殺をする大分大学が正しいのか?自分たちの口利き不祥事に向き合わず子供たちに「自分たちで切り開く力」 など平然と言えたり、的外れな論点で政権批判を繰り返し、投票する際に知ってほしい情報を与えない大分合同新聞が正しいのか?革新の裁量であれば、顔が真っ赤になる事案を保守に行えば、それは完全に無視される大分が正しいのか?

このような基本的で単純な問題を解決しなければ、大分という本当のパートナーになれる恋敵の存在は生まれないだろう。この点、大分の知性が積極的に思想差別を行っている。これで大分がよくなるわけがないだろう。

大分論壇を始めていろんな人が大分を想っていることを知った。子供たちにあいさつをするために登校がある限り毎朝同じ場所に立ち続ける女性、自己満足であることを認識していながら河川敷のゴミ拾いをしている男性、本質を語る大分にするためにどうすれば良いのかを考える人。皆、大分のことを何かしら想っている人たちである。認めるべき大分の恋敵の存在を僕は知った。

それぞれの大分に対する想いがある。だからこそ思想で優劣をつけることにそろそろ卒業し、相手を認めることから始めないだろうか?そうすれば最高の大分の恋敵になれると思うのだ。それはすなわち大分をより良い街にできることを意味する。

僕はこの大分が誰よりも、大好きなだけである。いわゆる大分愛を持っている。なぜアナ・キャスターに固執するのかというと、大分のことを手っ取り早く知るには、アナ・キャスターに興味を持つのが早いからだ。大分に関心を持ちやすい。だからこそ僕は積極的にアナ・キャスターを描く。もっと大分のことを知らなければ、本当の意味の恋敵にはなれないだろう。僕のやり方としては、アナ・キャスターに興味を持つのが、中学生のころから基本であった。確かにルックスやおっぱいしか見ていないこともあったが、政治や大分に興味を持てるようになった。

大分が嫌いでいちゃもんをつけるしかできない人と、恋敵になれるわけがないだろう。でもそうではない人もいる。このケースであれば、恋敵となり得るだろう。政治的思想や政党支持など、正直言ってどうでも良い。民進党が劇的に激変して、本気で日本のことを考えることができる存在になれば、簡単に寝返る用意もある。だって大分が変わるのであれば大歓迎な存在のはず。だからこそ、いまの民進党を批判し続ける。嫌いといった感情だけで、批判はできないはずだ。

それでは大分の恋敵のみなさん。良いお年を。

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