

大分合同新聞の伝統芸ダブルスタンダードを継承する記者しか登場しないキーボードに、地域を盛り上げようと奮闘する年配者について書いた別府総局・山田直彦記者。
何にもいえねー。
こういう地域のほのぼのを書かれると、大分愛に満ちた僕は貴社の失われたジャーナリズムについて追及する気が削がれてしまいます。
「1人ではできないことがみんなでならできる」
これについてちょっと語らせてください。
年末年始妻ちゃんおすすめアニメに付き合わされ、のめり込んで鑑賞し続けた作品にこんなシーンがありました。
窓際族で会社のお荷物な存在であった年配者。しかし知る人ぞ知る伝説のアニメーターで、この人物によって納期の危機を乗り越える回があり、とても印象に残りました。
自分に才能がないと悩んでいる若手アニメーターの指南役になったり、第一線のアニメーターが感化されたりする存在になっていくのです。
山田直彦記者のイラストからみえる年齢、そして今回の年配者についてのキーボードを読むと、SHIROBAKOというアニメ12話のこのシーンを思い出しました。
「社内にこんな年配者いる?」なんて野暮でエゴなことを書いてしまいそうになりましたが、今回はやめときましょう。
社会を見続け、大分を知る年配者の記者がこんな場面に立ち会うとしましょう。
閉塞感や生きづらさを訴えている側が、その社会環境に加担しているとしたら。
政治家のように記憶の消去を待つ。それを政治家を批判するジャーナリズムが行っている。しかも正義感と活力で満ちている若手が、この問題に取り組もうとしない。
そんな若手記者たちが、閉塞感や生きづらさを社内から問い掛けてくる。
僕はこんな大分県に我慢することができないのです。
大分を知っている記者なのに、自分たちで改善できる環境下にいるのに、どうして何もできないの?って。
いけない、いけない。今日はやめとこうと決めていたはず。
ねえ山田直彦記者。
僕は大分合同新聞に良心の存在を信じます。僕のような若者が「何にもいえねー」という年配者らしい経験値を見せてくれる記者が社内に居ると信じています。