アルゲリッチ音楽祭総合プロデューサー伊藤京子さんの崇高な理念について全面的に支持しますが、ひとつだけ知っておいてほしい大分県があります。
6月5日はマルタ・アルゲリッチの日ですが、大分合同新聞が推す「NIE教育に新聞を」と親和性が高い護憲派教育者が税金で表現の自由を侵害した日です。
大分政経懇話会伊藤京子さん講演要旨をおわびし再掲した大分合同新聞について、そしてアルゲリッチ音楽祭の公益について語らせてください。
大分合同新聞が大分政経懇話会伊藤京子さん講演要旨をおわびして再掲
6月5日は護憲派教育者が大分大学のIPを偽装し匿名性を高めて税金で表現の自由を侵害した間接的な憲法違反が起きた日であることもアルゲリッチの日に明記してほしいことを望む少数派の僕は、大分政経懇話会の伊藤京子さん講演要旨を「誤りとおわび」で再掲をした大分合同新聞の記事を比較しました。
2点の違いがあります。
アルゲリッチ音楽祭開催を阻んだ井上別府市長への批判が柔らかくなる
国民主権を訴える大分合同新聞の言葉を借りれば、別府市民の民意によってアルゲリッチ音楽祭が難局に立った点が異なります。
再掲では、当該者である井上別府市長への批判が柔らかくなりました。
井上別府市長は、アルゲリッチ音楽祭初開催の1998年をまたぎ、市民の民意を得て2003年まで任期を全うしています。しかもご子息は音楽家です。
クレームが来たことを、容易に想像できる再掲でしょう。
しかしながら伊藤京子さん名で大分合同新聞は、はっきり明記しています。
伊藤京子さん曰く、アルゲリッチ音楽祭を阻んだのは当時の井上別府市長。18日の記事について大分合同新聞は否定していませんのでそういうことになりますよね。
なぜ批判を柔らかくしたのか?
権力の監視機関としての矜持すら感じない再掲です。
大分県に援助支援を明文化
もう一点異なる点として、大分県に援助支援を明文化している点です。
2007年から公益財団法人ですので「県の主催」が誤りと指摘されるでしょうが、アルゲリッチハウスの県立化など県に援助支援という主導を明文化しているのも再掲の特徴です。
「日本の夜明けは芸術から始まる」ことを主張する伊藤京子さんですので、これはしっかり書いてもらわないと要旨にすらなりません。
公益財団法人として記者に対し「おまえ、何聞いてたの?ちょ、マジで??」と想像できる再掲です。
大分合同新聞東西南北が記録について綴った日におわびと再掲
再掲について大分合同新聞が明文化しないことから、可能性にしか縋れない大分政経懇話会の伊藤京子さん講演要旨ですが、この日の大分合同新聞東西南北はこんなことを書いています。
安倍・菅政権批判を絡め「記録が重要」と説いているそんな権力の監視機関が嫌がることを書きたくなりました。
伊藤京子さんの講演再掲の「なにが誤りでおわび」なのかを記録として明記しない大分合同新聞が、自身に向き合えない事案を紹介しましょう。
- 女子中高校生を含む県民女性にスリーサイズを聞いていたKawainfoを謝罪もなく削除しMeToo・女性蔑視運動に参加
- 税金で表現の自由を侵害した護憲派教育者が起こした言論事件は「NIE教育に新聞を」の大分合同新聞が淵源
- 大分合同スリーサイズセクハラ事案に「おかしい」と声をあげた当時の女子高生を無視して、女性記者が多様性と女性の権利を訴える
- 読者が医療従事者や県関係者に罵詈雑言を浴びせたネット記事を放置し、ネットの誹謗中傷が社会問題化したらコロナ禍の記録を全削除
- 県民女性にセクハラをする新聞社が二重基準でクラブの姿勢を批判するが、収益を見込むと税金で立て直した公益性ある大分トリニータのスポンサーになる
- 世界報道自由度ランキングのフェイクニュースを訂正しない
すべて覆すことができない紛れもない事実ですので、ご興味があれば当サイトでキーワード検索してください。
このような過去を持つ新聞社のコラムで記録について書かれた日に、「誤りとおわび」を明文化せずに講演要旨が再掲される。
これが同日で起きるのですから、大分ドラマティックですね。
大分合同新聞の灯で的確な菅首相批判を展開していた伊藤京子さんが大分合同新聞社の主催である大分政経懇話会で講演し、要旨が「誤りとおわび」で再掲されるのも、興味深い関係性だと素直に綴っておきます。
ねちねちと指摘したくはありませんが、「記事は実名が必要」と被害者の実名問題が可視化された京アニ事件で訴えていた大分合同新聞。
しかし「誤りとおわび」で再掲した記事の記者名は、明記されていません。
自分たちが追求しない「責任」を、相手に求めるのは知性がない人間がすることです。
だからこそ、こういう新聞社で有益な主張をする人や、東西南北が教育現場に配布されている大分が僕には理解できないのです。
小説家平野啓一郎さんも出演しているアルゲリッチ音楽祭への願い
小説家の平野啓一郎さんもアルゲリッチ音楽祭に出演しています。ベートーヴェン談話、面白かったですね。
最近は政治発言がヤフーニュースに取り上げられることも多い政治活動家として注目されているようですが、特定野党の蛮行にはお優しい性格をお持ちです。
公益性を求めるのであれば、真逆の思想を持つ小説家を招くことも多様性を訴える公益財団法人としての使命でしょう。
百田尚樹さんだって、ベートーヴェンについて語ることができます。
そんな大分のほうが、伊藤京子さんが主張する多様性の実現です。
政治色を帯びる音楽祭を求めていませんが、公益を訴えるのであれば大分では気に入らない思想に対し、護憲派教育者が人権を濫用して税金で表現・思想・言論の自由を侵害した事実を無視しないでいただきたい。
マルタ・アルゲリッチの日である6月5日に公金で芸術への冒涜が起き、それを招いたのも大分合同新聞であることを大分県民は共有しておくべきでしょう。
こんな大分を解決しないままで 「日本の夜明けは芸術から始まる」 と主張するのは無理があり、受け入れることはできません。
アルゲリッチ音楽祭の公益は十分理解していますが、芸術で大分の変革を望む以上、6月5日は税金で表現の自由が侵害された日であることにアルゲリッチ芸術振興財団こそが明記するべきです。
このような大分の現実を理解することが、大分の変革のスタートです。
大分の避けられない現実に向き合った後に、大分政経懇話会の主催である大分合同新聞はもう一度伊藤京子さんに登壇を求め、「日本の夜明けは芸術から始まる」 の講演をしていただけたらと願います。
大分県にとって有益な講演の要旨が再掲されるはずです。
6月5日が大分県民にとって有益な日になることを共有します。だからこその願いです。