当時はビックアイなんて呼ばれていた時期もあった。そんな現在の大分銀行ドームで初めてネットを揺らしたのが高松大樹だった。オリンピック代表に選ばれ、おちゃめなU-23チームメイトからパンツを下ろされてしまい、ゾウさんがあしらわれたパォーン越しのちんkを晒したことで全国区となった。
大分そのものが攻撃的なスタイルではないことから、決定力不足と嘆くのは、当時の僕はちょっと違うと思っていた。だからこそ高松の決定力は、大分では輝いて見えたはずだ。またボールを収めることができる唯一の選手だった。打点の高いヘディングこそ彼の代名詞であり、もっと左右ともに精度が高いクロスがくれば大分トリニータの得点数も伸びていただろうと、何度考えただろうか。
そして新潟から鈴木慎吾選手が加入したとき、僕の理想は具現化することになった。高松こそが僕の戦術論をかなえてくれる唯一無二の存在となった。サッカーの戦術を考えるのはとても楽しいことを、高松から喜びを得たことになる。
そういえば僕は、高松が初体験となった。初体験といっても、そのパォーンなものから受ける喜びではないが、かけがえのない喜びを知ることになった。自分が応援しているクラブから日本代表として選出され、試合に出場することがどれだけ素晴らしいことなのか。話題になった大分カルテットは元大分トリニータで構成されているが、高松は紛れもなく大分トリニータに在籍しているときに、キャップ数を記録した選手である。大分の少年少女たちがこの喜びを知ることこそが、大分トリニータ再建に必要な要素だと思う。
あのPK失敗は印象的だった。でも高松の失敗で降格ならまだ我慢できる。ミスタートリニータであっても降格は避けることはできなかったと、僕に遠い目をさせてくれる選手だった。「すまんな。ほんとごめん」と言っているような背中が忘れられない。トリニータの父である平松さんも亡くなり、その年に大分トリニータ全盛期を知っている選手が引退することになった。ひとつの時代の終焉となるだろう。
うまくいかないクラブに対して、「もうなくなってしまえばいいのに」なんて思ったこともたくさんあったが、高松が引退することによって、都合の良い望みが必然的に生まれることになる。クラブでミスターの称号を与えられた者は、指揮官として戻ってくるのがよくあるシナリオだ。
さよならミスター。また会えたら会おう。
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