大分の表現の自由を守る活動をして大分合同新聞文化賞の受賞を目指す

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読書週間最終日である。いま夏目漱石先生を読み返しており、「それから」を読んでいる。最近本を2冊買った。大分合同新聞にちなんで「そして誰もマスコミを信じなくなった(潮匡人さん)」と、民進党吉良先生の地政学に基づくコロンビア論にちなんで「最強武器としての地政学(藤井 厳喜さん)」。面白く文化活動ができる本である。

3日文化の日の大分合同新聞の東西南北には、こんなことが書いてあった。文化活動に寄与した方を表彰する大分合同新聞文化賞があること、そして文字は人間が生み出した最高の文化であること。物事を説明するために文字は欠かせないものであり、これがあることで意思の疎通を図ることができる。そして僕は思う。その反面、傷つけることもでき、嘘をつくこともできると。

その点この大分論壇は、 相手を傷つけることを今まで一度もしたことがないと誇ることはできない。大分大学の人権派によれば、このブログは「紛れもない差別的言動・女性蔑視をする場」であり、ブログタイトル名の変更を要望されたことがある。ただ大分論壇というのは、誰かしらの笑顔をつくるため存在している。そのためのプロセスとして、非難をしなければならないこともある。結果傷つけることは避けられない、また皆を笑顔にするための努力はするが、ほぼできないだろう。

大分大学の人権派が激怒したのは、大分合同新聞のサイトカワインフォ内で女性にスリーサイズと性癖を聞いていることに対して、「おっぱい好きだけどもっとかわいいはあるんじゃね?」の趣旨で大分論壇が記事を書いたことによる。「おっぱい」という文字が卑猥であることで、差別と女性蔑視になることから卑近な思想を理由にブログタイトル名の変更を要望された。残念ながら僕の力量不足で、大分の知性だけには理解してもらえなかった。人間が生み出した文化である文字を理解するには、読み手と書き手双方の識字率が揃うことが欠かせない。

いや、そんな話ではなく単純な問題である。“理解しようとする能力”がなければ、書き手の心情を知ることができない。それが読む力であると僕は思う。それが欠けることにより差別が生まれ、それに隠れながら自分のイデオロギーを正当化するなんちゃって人権派のせいで、不条理な差別認定で苦しむ人が生まれる。それこそが僕であり、大分の知性に向けた枯渇しない原動力が生まれることになった。

その理解しようとする能力を駆使しても、卑近な思想だからブログタイトル名の変更を要望されるようなことを、僕は到底しているとは思えない。配慮を欠き卑近な思想であることは認めるが、「おっぱいが好き」が差別的言動・女性蔑視になる理由がわからない。大分大学の人権派は、人間が生み出した最高の文化である文字に色を付けるために欠かせない表現にいちゃもんをつけてくる。人権派がブログタイトル名の変更を要望するなんて、いまでも信じられない。どうやら大分は、要の知性や人権派が、表現の自由を否定する都市となってしまった。

政府が言論統制するようなことがあれば、最終的にそれに抗うのは知性となる。その知性が平気で、運営交付金を得ている場から表現の自由を侵すのが大分である。大分の知性が国立大学のIPアドレスを偽装してまで表現の自由を侵害する行為に、僕は危機感を持つ。最後の要となる知性が卑劣な行為をしてまで表現の自由を侵害しようとする大分。知性がこのようなことをしていれば、大分こそが原始的生活をする意味の土人の県になってしまうだろう。なんせ表現の自由を侵害するのは、文化そのものを否定し、文明さえも放棄することになるのだから。大分の知性がこれであれば、“土人県おおいた”はもうすぐだ。

大分には表現の自由があることを訴え続ける。僕は何度でも大分の知性と人権派の資質を持つ人物が行った卑劣極まりない大分大学IPアドレス隠蔽事件を書き続け、大分には公共の福祉に反しない限りの表現の自由があることを訴え続ける。

大分の表現の自由を守る活動を評価されることがあれば、ぜひとも大分合同新聞文化賞を受賞したい。大分大学の人権派が激怒したきっかけとなった、女性に対してスリーサイズを聞いていた過去があり、何にも釈明することなく平然と項目を消した大分合同新聞社から文化活動を評価してもらいたい。いつかの文化の日に賞をいただくために、大分論壇を書き続けよう。

大分の表現の自由を守る活動の一環として。

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