伊藤京子さんに伝えたい!大分の6月5日は税金で表現の自由が蹂躙された日

別府アルゲリッチ音楽祭総合プロデューサー伊藤京子さんに届いてほしい大分の6月5日。
大分合同新聞の記事を引用し批判するとGoogleからポリシー違反
大分合同新聞東西南北の誤字、反論のためにコラムをスクショで掲載すると、Googleからポリシー違反。フェイクニュースっておまえらが言うから、改ざんしていないコラムが必要じゃん。護憲派が税金で言論封殺するこの県の言論空間の異常性。

大分合同新聞「灯」に寄稿をした別府アルゲリッチ音楽祭総合プロデューサーの伊藤京子さんに感嘆しました。

政治と文化と題して、日本をパロディ国家と評し「今の日本は文化国家と言えるだろうか」と嘆いています。

だから伊藤京子さんに伝えたい。

大分県がアルゲリッチの日と顕彰した6月5日は、護憲派教育者が税金で表現の自由を蹂躙した日でもあります。

どうしてこんな国になったのでしょうかね。

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伊藤京子さんに伝えたい大分の6月5日

アベノマスクを愚策とし、その尻拭いが税金で行われその対案の一連をパロディ国家と評した別府アルゲリッチ音楽祭総合プロデューサーの伊藤京子さん。

責任すら感じない人たちに良心があるのかと問い、伊藤先生にちなみ「ピノキオ」の絵本を贈りたいようです。

どうしてこんな日本になったのか?

原因は、伊藤先生や僕を含めた国民の無関心と文化への軽視にあると説きます。

そのとおりです。さすが伊藤先生。

だから伊藤京子さんに伝えたい。

大分の6月5日は、護憲派教育者が大分大学のIP偽装という匿名性を高めた行為によって税金で表現・思想・言論の自由を蹂躙した日です。

伊藤先生が説く人間が理想とする環境を構築する憲法が認めている自由が、税金で脅かされた日が6月5日です。

アルゲリッチの日と重なるのは大分ミラクルですので、的を射た「パロディ国家」な日本です。

大分合同新聞に寄稿された伊藤京子さんのパロディ言論

護憲派教育者が税金で行った文化への軽視となる表現・思想・言論の自由への侵害は、伊藤京子さんが寄稿した大分合同新聞が淵源となった出来事でした。

MeToo運動に定評がある大分合同新聞ですが、カワインフォという大分と自社のイベントを喧伝するコーナーで女子中高生を含む県民女性にスリーサイズを聞いていました。

つまり子どもをだしに使った大分合同新聞のセクハラ事案です。ピノキオの登場人物に例えたら誰ですか?

それを批判したら、護憲派教育者が大分大学のIPを偽装し、教員が大忙しの金曜お昼前に税金で発狂しました。

教育者が女子中高校生を守るよりも、政治イデオロギーに傾倒した2015年安保法制国会時・6月5日の大分。

文化への軽視と同時に、マスメディアと感受性が高いリベラル風に言えば明確な「言論事件」が「税金」で起きたのです。

NIE(教育に新聞を)の教員もいたり、大分合同新聞も関与していた大分県教委汚職事件もあったりと、どうしても生徒よりも大分合同新聞社を庇いたい教員がいても不思議ではない大分。

そんな大分の大本営である大分合同新聞は、J2降格した2021天皇杯準優勝の税金で立て直した大分トリニータのオフィシャルパートナーです。

過去に問題を起こした選手とスポンサーに対し「ふさわしくない」と断罪した過去がありますが、いまではいいとこ取りの公式の相棒。

大分トリニータも大分の文化です。

よって、どれだけ文化を軽視している大分県であるのかがわかるでしょう。

伊藤先生が寄稿した大分合同新聞が関与している事案です。伊藤先生が言う「税金」にまつわる大分合同新聞が淵源もしくは関与した文化への軽視でもあります。

感嘆する伊藤京子さんの灯が、二重基準で人間としての良心すら感じないピノキオの鼻が伸びまくる大分合同新聞に掲載されるのですから、パロディ言論のように見えます。

別府アルゲリッチ音楽祭こそ6月5日に向き合ってほしい

大分の芸術の母といっても過言ではないマルタ・アルゲリッチさんを顕彰する大分の6月5日は、護憲派教育者が税金で表現・思想・言論の自由を蹂躙した日です。

国にも相談しました。

大分最高学府である学長の独裁と学生が晒さられるハラスメント天国の大分大学は「初めて知りました」で調査すらしなかった。

文化庁は無視。担当者名も拒否。

「憲法違反なら国訴えたら?」と応えた大分地方法務局人権擁護課は担当者名の公表を拒否。

こんな大分があることから、伊藤先生のいうパロディ国家に共感します。

だからこそ別府アルゲリッチ音楽祭を注視したい。

「TBSサンモニは出演者のバランスが良い」と委員から出るOBS番組審議会に出席していた伊藤京子さんが、こんな大分を無視することができたならこれこそ文化への軽視に加担したと見做すことだってできるはず。

だから伊藤先生の精力的な活動の「ピノキオ」を用いてまで出てきた良心に訴えます。

本当に大分の6月5日はアルゲリッチの日で良いのでしょうか?

文化への軽視が税金で行われた大分の6月5日に向き合うことができなければ、あの素晴らしい別府アルゲリッチ音楽祭に疑問符をつけなければなりません。

パロディ国家と評した伊藤京子さんの芸術家としての責任ある良心に届くことを願います。

してはいけないことをさせたがる。しなくてはいけないことをさせたがらない。

芸術家としてピノキオを用いた良心を、伊藤京子さんに問い掛けます。