大分合同新聞のJR九州批判が度が過ぎているのは県益にならない

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12月15日大分合同新聞自転公転から

12月15日大分合同新聞自転公転から

1225大分合同新聞東西南北から

1225大分合同新聞東西南北から

最近の大分合同新聞は、JR九州批判を一層強めています。

言葉として定着をしていますが、いわゆる高崎山シャーロット騒動があった大分ですので、いくら公共性を盾にしても「三猿のJR九州」はやりすぎです。

クリスマスの東西南北では、県南地域に通う学生たちを考慮した折衷案をJR九州自ら提起したにもかかわらずそこをまったく無視して「県民の叫びをJRは減速せずに素通りした」と文学的に批判。

まるで「ヘイト」のような大分合同新聞のJR九州批判。

しかし公共性がある大分合同新聞がこの姿勢であれば、県益にはなりません。大分の公共性に閉塞感を生み、どこにもたどり着けない。大分合同は自身を振り返る知性を持って県益を追求してほしい。

閉塞感を共有するようになった平成最後の年末だからこそ、大分合同新聞ができることがあるはずです。

JR九州減便を批判する大分合同新聞をおさらい

利用者が少なくなれば、企業も考えないといけません。ではなぜ利用者が少なくなったのかと言えば少子化であり、そこから生まれた街の不活性化です。その少子化を引き起こしたのがJR九州であれば、大分合同新聞のような批判を強めて良いのですがそうではありません。

少子化は広瀬知事も口にするほど、日本全体の喫緊の課題です。公共性でJR九州を批判するのは的を射ていますが、行政批判はここにはない。この不公平な批判こそ「どこにもたどりつけない最近のマスメディア批判」そのものではないでしょうか?

批判はダイヤ減便だけではありません。日田彦山線の復旧を巡る一部自治体負担を求めるJR九州に不快感を示した広瀬知事。ここでも大分合同はJR九州への批判を強めています。

行政とJR九州の妥協点を探すのがマスメディアの役割であっても良いのですが、なぜかJR九州だけを批判する。ここに公平性がありますか?

行政が背負うべき「少子化問題」、行政による「JR九州へ復旧の丸投げ」を徹底無視して、JR九州にまるでヘイトような発言を繰り返しているのがいまの大分合同です。この“いま”は、権力の監視機関が大分行政を忖度している異常なマスメディアの存在を意味しています。

徹底的にJR九州悪を県民に植え付けようとする異常性

先述したように、マスメディアが対立している両者の妥協点を探ることもできるはず。県民に提起することによって、行政負担すなわち県民への負担は「理にかなうものかどうか?」。ここを県民に問うのもマスメディアの役割であって良いはず。

それをなぜかしない大分合同新聞。公共の盾を使って、妥協点すら探そうともせず、「三猿のJR九州」と罵り、学生の声を聞いた折衷案(佐伯臼杵間を増便予定)も評価せず徹底してJR九州を叩く。

川野津久見市長が「行政の役割」をよく述べていますが、ここにこそ解決策があるはず。その役割を担えるのが大分合同なのですが、それすらしない。

まるで県民が関心を持つと「ダイヤ減便も仕方がない」といった正論を振りかざすことを嫌っているようにも思えます。

でもそこがスタートであっていいはず。

大分という街を作るのも県民であるからこそ、逃げられない事実と向き合い、無関係な人も関心を持てる大分であることが重要なんです。それが大分まちづくりのスタートになるはず。いつもこの新聞が言う「寛容」の概念から見れば持つべき感覚。

しかしそれに逆行する批判を繰り返す大分合同新聞。社会の閉塞感をさらに加速させる典型的な批判になっています。議論というプラットフォームすら壊す事態。

大分まちづくりにとって最悪なのが、手をこまねくこと。大分合同のJR九州批判は、この終着駅へ加速しかしていないんです。

公共性というパワーワードではなく、他の意図を持って叩いているような気分にさせられるほどの「憎悪の糾弾」。何がそうさせているのかわかりませんが、どこにもたどり着けない批判をしていることにマスメディアとして気づいてほしい。

公共性を逸脱した権力の監視機関

そんなに公共性を叫ぶのであれば、女子中高校生にスリーサイズを聞いていた大分合同新聞はどうなのか?

財務省事務次官のセクハラで女性記者を守った新聞労連とBuzz Feedですが、大分合同のセクハラには無関心。マスメディアであれば、中高校生でもセクハラは許されるのですか?

こんなマスメディアが公共性を叫び、JR九州だけには求める。人に求めることを自分たちができない。日本を取り巻く閉塞感の正体ってここじゃないんですか?

JR九州批判だけで大分がよくなればやればいい。でもそうではないはず。JR九州と行政との仲を取り繕う役割を担う人物や組織が表れないと、さらに対立を深めます。それは県民にとっての公共性が失われる結果になるでしょう。

大分が残念なところは、「取り繕う努力をする」人物が表に出ないこと。国立大学のIPを偽装して人権侵害をしても問題にならない大分大学もあります。

「さすが」としか言えないほど、「おおいたくおりてぃー」は裏切りません。それに大分合同新聞が加わってどうするんですか?

大分合同新聞は妥協点を見出す役割にシフトチェンジしたほうが、大分県民のためになるはずです。どうかJR九州と行政が手を結び合う方向性を探ってほしい。大分合同新聞の「まるでヘイトのような圧力を感じる」JR九州批判は、大分にとってマイナスしかありません。

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