国民文化祭2018おおいた大茶会が大盛況で閉幕したから続けたい批判

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広瀬知事は国民文化祭2018おおいた大茶会が大盛況であることをご満悦の表情で伝えました。その文化祭も25日で閉幕。連日大分マスメディアから伝えられる数字から成功で終わったことになるでしょう。

携わった方々お疲れ様でした。

しかし憲法違反の国民文化祭2018おおいた大茶会であったこと。この批判を続けなければいけません。

当たり前の回答ができない文化庁と文科省

デマや誹謗中傷が表現・思想・言論の自由の範疇にあるなんて主張する人はごく少数。それなのに「誰にでも表現等の自由がありますよね?」の質問に対して、大分大学IPアドレス隠蔽事件が不明確だから回答拒否をする文化庁と文科省。

わからなければ調査すれば良いだけ。

先日発覚したように、また顕在化された大分大学のハラスメント行為。前回は学生が自殺していますが、11人の学生のアカハラについては今年3月に発覚していた。学生がひとり死んでいるのにまだこんなことが起きる。

文科省は運営を大学に丸投げせず、学生や職員だけではなく県民にもハラスメントをする大分大学の実態解明を行うべき。その過程で運営交付金を使って人格否定をした大分大学IPアドレス隠蔽事件の首謀者も明らかになるはず。

自分で文化水準が高いことを述べ「名乗らない論は論ではない」と言いながらIP偽装を行う大分大学の人権派なのですから、調査すれば名乗り出てくるはず。人権派なので自浄作用くらい持っているでしょう。

運営交付金を使った人権侵害、そこから疑念を抱き質問したことで生まれた憲法違反の指摘に対して、反論すらできず無視し続ける文科省と外局の文化庁。そんな省庁のもとで行われた国民文化祭2018おおいた大茶会。

大きな問題にならなければ税金を使った人権侵害も容認できる。文科省と文化庁は前例を作ったことになります。憲法カフェは「憲法は公務員も守らないといけない」と喧伝しますが、それを無視し続けていることは大問題では無いでしょうか?

リベラル・左翼活動家のファッション憲法

今回の件、公務員も守らないといけない憲法と主張する憲法カフェにも相談しましたが、無視されています。

超有名なリベラル団体は大分大学IPアドレス隠蔽事件の首謀者が学生と認定。行政の憲法違反行為については、リベラル派が公金を使って引き起こした人権侵害が発端になっていることからまったくアドバイスがない。

リベラル・左翼の本質・反権力がそこにあるのに、まったく興味がなく、支離滅裂なことを言うのは学生だと根拠もなく決めつけました。リベラルや左翼の都合が悪いことは無視して、立場が弱い人物のせいにする脆弱な人間性。

権力を縛る憲法が、自分の思想を通すファッションになっています。これは大分大学人権派の公共の福祉を無視した人権の濫用と同じ手段。お馴染みのリベラル・左翼の常套手段でもあります。

リベラル・左翼の欺瞞と偽善は、憲法が僕ら国民の権利を保障する力を持たないことを証明することになりました

マスメディアの思想差別と前例の悪習

大分合同新聞がいつも公平と言いますが、マスメディアは左翼・リベラルの不祥事は絶対にニュースにはしません。仮に大分大学IPアドレス隠蔽事件が保守層から行われたらどんな報道がされたのかなと、シミュレーションしたいくらいです。

前例をあげましょう。

作家の百田尚樹さんの講演を左翼活動家に妨害されたことはニュースにならず、中指立てて子育てを応援する香山リカ先生の講演に対する右翼活動家の妨害はニュースになる。

どちらも最悪な言論封殺行為。なんちゃってインテリは国が行うことを言論封殺と解釈していますが、国民主権であるなら国民も行うべき行為ではないはず。そんな人たちが「政治家には人権がない」と言い、国民主権を主張する。拙劣すぎやしませんか?

香山リカ先生が「行政が前例を作ることが問題」と、ここは的確な指摘をしています。その指摘に沿えば憲法違反について反論すらできず逃げ続けている行政も前例です。

憲法に関する問題を行政がクリアにせず開催した前例を作ることになりました。マスメディアが思想差別をすることがなければ、生まれなかった前例かもしれません。権力の監視機関が思想差別をしているから、正常な感覚を国民で共有できないのです。

「盛り上がれば少数派を傷つけても良いけん!おおいた」で良いのか?

文化の興隆には、表現・思想・言論の自由が欠かせません。この自由を明確にしないまま開催されたのがおおいた大茶会。この前例は文化の興隆ではなく、盛衰を招くことになります。

しかし表現等の自由はすべてを保障しているわけではありません。他の権利と衝突することもあり、その場合は話し合いで解決するのが最良の手段と考えます。しかし大分は逆行の手段しか知らない。

国東半島芸術祭のゴームリー像問題で地元僧侶の反対を押し切って文化祭を強行した事例が県にはありますが、今回の国民文化祭はそんな大分を踏襲したことになる。

傷ついている人がいても盛り上がれば問題がない。権力で押し切る。この県の体質は、数年前から何も変わっていない。それを「芸術や文化」と呼ぶ前例を県は作り上げています。

広瀬知事が述べた国民文化祭2018おおいた大茶会大盛況の影でこんな大分がある。ここに「振り返りという知性の作業」を求めなければ、大分の人権意識の向上・文化の発展は望めないでしょう。

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