きっと最後になるだろう。メディアから去った人をタイトルで取り上げるのは、あまりよろしくない事態だ。まして善良で人がよさそうなNHK大分の方々や、あさちゃん周辺の方々の眉を顰めるようなことを僕はしたくない。本人の旅立ちを心から応援する大分論壇でありたい。
NHK大分元キャスターの坂本麻子さんが“ラストあさチャンねる”という名の記事を落とした。マラソンと自らの進退に言及したあさちゃんファンに向けたメッセージとなった。
「“マラソンといふもの”から見る坂本キャスターを想像する」という記事でも書きたくなるようなかわいい系天然古文女子だったのかもしれない。僕はこれから「いふ」という表現を使いたいと思えるほど気に入ってしまった。走ることについての答えを見つけようとする、まるで村上春樹のようなあさちゃんだ。また答えが出ないというところに哲学を感じる。人は答えを求めすぎている。その過程にこそ意味があることを彼女は教えてくれた。
豚汁といふものを食すあさちゃん。またその写真がかわいいのだ。この写真を僕のアイフォンの待ち受け画像であるモウリーニョ、クロップ、ゆきりんのローテーションに加えて、僕はひとつかふたつの記事を書けるほど、素敵なあさちゃんがいる。しかし隣の山本キャスターについて言及しなければならないだろう。
完璧なる守護神である。時々いるのだ。かわいい子のそばにいる女子。ちょっとそこにいると困る系女子だ。時として目的の女の子と仲良くするのを邪魔する。その役割こそが今回の写真である山本キャスターなのだ。そんな女子は実際よく話してみると良い人が多い。変な顔をする山本キャスターもその部類の女子だろう。そして僕はローテーションにその写真を加える計画をシュレッダーに掛ける。
僕は、一目見たらかわいい子を決して忘れないという特技を持つ。どんな服装でどんな仕草がかわいいのかを記憶するのだ。きっとリカバリー領域のように特別なメモリーが脳内になるのではないかと踏んでいる。そんな僕が“あさちゃんの最後の写真の服装”について語らしてもらおう。
元NHK大分キャスターの上尾さんの最後の写真もこの服装だった。このようなタイプの服装の名称を僕はピーコではないので知らない。襟元がいつかの時代風な襟元で、かわいらしさが幾分増す不思議なアイテムである。この服、NHK大分のかわいい系キャスターを卒業させるときの服装なのかもしれない。
僕はNHK大分の取材班などに名称を付けて遊ぶのが好きなのだが、海外ドラマなどである粋な見送りの儀式のようなものがひょっとするとNHK大分にあるのかもしれない。ベージュ色で黒色襟のあのワンピースにこれからも注目していきたい。
良い人が集まると卒業も華やかだ。あのような善良な人たちと囲まれてプライベートを過ごす写真を見ると、ひょっとすると僕の人生は、間違っていたように思えるから不思議だ。僕も、マラソンやフットサルなどする仲間がいる職場に勤めたかった。しかしだ、そんな環境にあっても、僕は決して行かないだろう。
恵まれている環境にいたことを感謝するあさちゃん。「人に感謝すること」ができる。かわいい女子には欠かせないパーソナリティーである。
僕はあさちゃんといふ人物を忘れないだろう。
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