大分県教委汚職事件をめぐる教員不正採用問題 地裁の司法判断が別れる事態

同じ境遇で、同じ処分を受け、同じ理由で、司法に判断を委ねたのに異なる結論となった。身に覚えのない加点を受けて合格をし、汚職事件発覚で採用取消処分を受けた。ひとつの判断は採用取消は不当であり、責任は県にあるとした。しかし一方は、不正に関与していないけれども、公務員の人事の公正は重要な公益であるを理由に、県の採用取消は適法と判断。大分地裁はふたつの同じ内容の訴訟を、ふたつに振り分けることにした。

現時点で教員免許を持っているA先生と臨時講師であるB先生と判断される見解も当然あるだろう。同じ内容の訴訟で、地裁の判断が別れたことに対して大分マスメディアは、そこを詳しく掘り下げてくれない。当時の幹部が教員不正採用問題に関わっていた大分合同新聞夕刊に不満が募る。そんな大分合同新聞の記者が新年早々の夕刊に「大分県教委汚職事件に対して過去を見詰める」なんて書いており、自分たちの襟を正すことを一切書かないのだからもう困ったものだ。

勝訴したA先生は、県が不服として高裁に控訴している。そしてB先生も地裁の判決を不服とし控訴する方針。関与していない人物が、なぜか加点され合格し、大分県教委汚職事件が明るみになって採用取消処分を受けることになった。問題はその「なぜか?」であり、それは真相究明されない大分県教委汚職事件に突き当たることになる。そもそも大分県教委汚職事件や教員不正採用問題からくる加点が起きなければ、このような訴訟もなかったはず。

大分県のトップである広瀬知事も、まったく真相究明にやる気がない。2008年に発覚した事件で、これまでに大分県トップの知事選が2回も行われた。真相究明を訴える良い機会であったのに、ジャーナリズムの大分マスメディア筆頭であり、当時の幹部が関与していた大分合同新聞は「広瀬知事には目立った失政がない」などと書く始末。俯瞰して大局的に見て選挙は行われるべきだろうが、大分県教委汚職事件真相究明のチャンスを2度も失った大分県になる。

そもそも選挙というのは、僕らが抱えている大分県の問題をリーダーがどのように解決するのかをプレゼンする場所であるべきだ。しかしいまの大分県はリーダーになる者が問題を見つけたり作ったりして、僕らが望んでいない意向も含まれていて、組合がこう言っているからが優先され、政治判断など皆無で選んでいる傾向もある。こうみると僕ら有権者にも問題があることを認識しなければならない。余談だが安保法制の際「立憲主義を守れ」などと“どこかの組合”が大分の路上で叫んでいたが、“自分たちこそ関わりある問題”と大分の問題を蔑ろにして「立憲主義を守れ」と叫ぶなんて、なんの皮肉だろうかと思ってみていた。

マスメディア自体がなんちゃってジャーナリズムに成り下がり、そして僕ら大分県民も、大分県最大の不名誉であるこの事件に関心が薄れつつある。つい最近はフェンシング不正騒動で、県教委は調査しない方針を示し、良心的な大分県民の抗議で重い腰を上げたが、結局は「よくわからない」で済ませている。

問題がどこにあるのかを曖昧にしてはならない。

問題はすべて県にあり、そして県は大分県教委汚職事件の真相究明を必ずするべきである。それを行って初めて原告と向き合うことができる。公務としての問題と人間として問題があり、政治的な判断をしなければならないことは理解する。ただそれでも人間としての部分を捨ててはいけない。そして県は人間として役割を果たしていない。自身の不正に向き合わないなんて、僕は絶対に間違っていると思う。

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